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年に4回、彼女はソウルを選ぶ [第1話/全4話]

  • 執筆者の写真: GENPASS 編集 三好
    GENPASS 編集 三好
  • 4月17日
  • 読了時間: 5分

更新日:4月27日




第1話「瑞源の朝」


ソウルに来るのは、3回目だった。

Four Seasons Hotel Seoul。光化門のすぐ近くに建つ、このホテルにしてから出張の動き方が変わった。

ロビーの天井が高く、韓国の古建築をモチーフにしたデザインが落ち着いている。

朝に窓から景福宮の屋根が見える。東京のビジネスホテルとは、その点だけが根本的に違う。

宮殿が見える部屋で商談の資料を開く。

その感覚が、俺は嫌いじゃない。

仕事の場所として使っているのに、どこか旅の気分が抜けない。

それがソウルという街の質だと思っている。


仕事は昨日から始まっていた。

韓国側の取引先との打ち合わせが一日続いて、今日の午前中は間がある。

午後2時にアポが入っていたが、朝は空いていた。

同僚から教えてもらった店に行ってみることにした。

「ソウルに来たら絶対行け、でも場所はわかりにくい」という話だった。

そういう説明で薦めてくる人間の店は、たいていハズれない。


종로구(鍾路区)の路地を少し入ったところにある、瑞源(ソウォン)という食堂だ。

看板が小さい。

知らなければ通り過ぎる。

中に入ると、カウンターが6席、奥にテーブルが2つ。

それだけだった。

地元の常連しかいない。

窓がなく、蛍光灯の光が明るかった。

壁に手書きのメニューが貼ってある。韓国語しか書いていない。


定番は순두부찌개(スンドゥブチゲ・豆腐チゲ)定食。

13,000ウォン。日本円で約1,400円。

絹ごしに近い豆腐が、アサリの出汁の中でやわらかく揺れていた。

辛さは抑えめで、豆腐の甘みが際立っている。

アサリが出汁に溶け込んでいて、一口目は豆腐の柔らかさだけが来て、飲み込んだ後に海の香りが残る。

付け合わせのキムチとナムルとご飯が三種。

どれも余計なものが入っていない。

素材そのものを食べている感じがした。

派手さのない、地に足のついた食事だった。

ソウルでは珍しいというより、こういう店はどこにでもあるようで、実は少ない。


席についてしばらくすると、女が入ってきた。

茶色のセミロング。大人の顔立ちをしていた。

164センチくらい。細い。目元が少し切れ長で、鼻筋が通っていた。

ジャケットにデニム、スニーカー。

荷物はショルダーバッグと、コスメブランドのロゴが入った紙袋。

観光客の荷物の量ではなかった。

買い物の帰りか、これから行くのかはわからない。

いずれにせよ、この街を歩き慣れた女の荷物の持ち方だった。


スタッフが韓国語で声をかけると、女は韓国語で返した。

流暢ではない。でもためらいがなかった。

慣れた通い方をしている人間が使う、短いやり取りだった。

常連だ。スタッフが笑顔で何か言って、女も笑って答えた。

内容はわからないが、毎回来るたびに繰り返している会話の感じがした。


俺の隣の席に座った。

スマートフォンを取り出して、何かを確認している。リスト系の画面だった。

サプライヤーのリストか、仕入れのスケジュールか。

旅行者の顔ではなく、仕事の顔をしていた。そ

れでいて、朝からこの店にいる。時間の使い方に無駄がなかった。


「韓国語、話せるんですか」

俺が言うと、女は少し驚いた顔をした。

それからスマートフォンを置いた。

「少しだけです。毎回同じ頼み方しかできなくて」

「それで十分ですよ」

「観光ですか」と彼女が返してきた。

「出張です」

「何の」

「自動車の部品関係です」


女は少し笑った。

この店にいる人間に似合わない仕事だと思ったのかもしれない。

俺もそう思う。


「仕入れですか」と俺が聞いた。

「そうです。ネイルの材料を。東京でサロンをやっているので」

순두부찌개(スンドゥブチゲ)が来た。二人分、ほぼ同時に出てきた。

「ソウルには慣れてますか」

「年に4回来ているので」と彼女が言った。


年に4回。この店の常連になるには十分な回数だ。

仕事と旅行の境界が、もう曖昧になっているような顔をしていた。

自動車の部品商社マンと、ネイルサロンのオーナー。朝の食堂で、それぞれ別の仕事を持ってソウルにいた。


「仕入れ先はどのあたりですか」

「東大門のあたりが多いです。卸の問屋が集まってるので」

「毎回同じ業者と?」

「同じところもあるし、新しいところも探しながら」

仕入れのルートを自分で開拓している。

28歳でそれをやっている。

日本で買えるものは日本で買えばいい。

その方がコストが安い。

それでもソウルに来るのは、韓国にしかないものがあるからだ。

ネイルもコスメも、最先端は韓国が先行している。

日本で流行り始めているトレンドは、ソウルでは2年前に終わっている。

その差を追いかけるために、年に4回来ている。そういうことが、顔から読めた。


俺は순두부찌개を一口飲んだ。

アサリの出汁が、朝の胃に素直に入ってきた。

豆腐の甘みが後から来た。

東京では食えない種類の朝食だった。

食べながら、こういう時間が出張の質を決めると思った。

仕事の合間に、誰も知らない食堂で、隣の人間と短い言葉を交わす。

それが積み重なって、どこかが変わっていく。

鍋の湯気が、二人の間にゆっくり立ち上った。





■ 瑞源(ソウォン)

住所:서울특별시 종로구(ソウル特別市 鍾路区)周辺 

※路地入った小規模店舗のため事前にGoogle Mapで「서원 식당 종로」で確認推奨

営業時間:朝7:00〜14:00頃(モーニング専門店のため午後閉店)

予算目安:순두부찌개定食 13,000ウォン前後

特徴:地元常連のみ、外国語メニューなし、カウンター6席+テーブル2つ程度の小規模食堂



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