シンクロニシティ [第3話]
- GENPASS 編集 三好

- 6月28日
- 読了時間: 5分

【第3話】 嵐の外
翌日もハリケーンは去らなかった。
起きてカーテンを開けると、窓の向こうに昨日と同じ空があった。
空港の誘導灯が、昼なのに点灯していた。
滑走路には飛行機が並んでいるが、どれも動いていなかった。
廊下に出た。
七瀬が廊下の窓の前に立っていた。
カメラを首から提げて、外を向いていた。
スウェットの上にデニムジャケットを羽織っていた。
昨日と違う顔をしていた。
空港のカウンターで言い合いをしていたときでも、バーで飲んでいたときでもない。
撮っているときの顔だった。
「撮れましたか」と声をかけた。
振り返った。「少し」と言って、カメラの液晶を向けてきた。
嵐の空港だった。
ガラス越しに撮った写真は、空港をまったく別のものにしていた。誘導灯が雨の中でにじんで、ターミナルのシルエットが霞んで、飛べない飛行機が暗がりの中に浮いていた。廃墟のように見えた。でも廃墟ではなかった。ただ、嵐の中にある空港だった。
「上手いですね」と俺は言った。
「お世辞ですか」
「いえ」
七瀬がカメラを戻した。「廃墟に見えますか」
「見えます」
「廃墟じゃないのに廃墟に見える写真が好きなんです。廃墟が廃墟に見える写真より、ずっと面白い」
それがこの仕事を選んだ理由に近いのだろう、と思った。聞かなかった。
昼をホテルのレストランで取った。
ガラス窓が大きく、外の嵐がよく見えた。七瀬はハンバーガーを頼んだ。「アメリカに来たら食べないと」と言った。
「もっと繊細なものを食べると思っていた」
「なんでですか」と七瀬は聞いた。
「なんとなく」
「写真がそう見えますか」
「少し」
七瀬がハンバーガーを持ち上げた。かなり大きかった。一口噛んで、ジュースが垂れそうになって、ナプキンを取った。「繊細じゃないですね」と言った。
笑った。今度は声が出た。
「撮影の仕事はいつから」と俺は聞いた。
「29のとき独立しました。それまでは出版社のカメラマンで」
「どういう経緯で」
「フリーで撮りたいものだけ撮った方がいいと思って」と七瀬は言った。「撮れるものじゃなく、撮りたいものを」
「好きなものだけ撮って食えているんですか」
「ギリギリです」と七瀬は言った。「でもギリギリで好きなものを撮っている方が、余裕があって好きじゃないものを撮っているより、ずっとましです」
「そうですね」
「三好さんは好きな仕事ですか」
「好きです」
「EV化とサプライヤーの見直しが」
「それより、動いていないものを動かすのが」
七瀬がハンバーガーを置いて、少し考えた。「デトロイトの話みたいですね」と言った。
「似ているかもしれません」
夕方になってもハリケーンは続いていた。
七瀬は部屋に戻って撮った写真を整理すると言って、夕方に別れた。俺はバーで一杯飲んで、メールを処理して、デトロイトの相手に一言入れた。ハリケーンのためにフライトがキャンセルになったと伝えた。先方はすでに知っていた。「Take your time, stay safe」と返ってきた。
夜になって、廊下で七瀬に会った。
「今から夕食ですか」と俺は聞いた。
「バーで食べようかと思って」
「一緒に」
七瀬がうなずいた。
バーで軽く食べた。七瀬はバーボンを一杯、それからワインに切り替えた。デトロイトの話をした。七瀬はミシガン中央駅を撮りたいと言った。フォードが改修を進めているが、まだ完成していない。どっちでもない時間が好きだと言った。
3杯目が終わったころ、七瀬がカウンターに頬杖をついた。
「眠い」と言った。
「3杯飲みましたから」
「2杯じゃなかったですか」
「3杯です」
「そうですか」と七瀬は言った。目が少し潤んでいた。酒のせいか、疲れのせいか、わからなかった。「あの……今日、疲れていたんだと思います。昨日からずっと」
「そうでしょうね」
「三好さんの部屋に行っていいですか」と七瀬が言った。「一人でいると嵐の音がずっとするので」
「どうぞ」と俺は言った。
七瀬の部屋は4階、俺の部屋は10階だった。エレベーターに乗った。
10階のドアを開けた。
七瀬がソファに座った。テレビをつけると、ハリケーンのニュースが流れていた。「ハリケーンの中でハリケーンのニュースを見るのは変な感じですね」と七瀬が言った。
「そうですね」
ミニバーからミネラルウォーターを出して渡した。七瀬がゆっくり飲んだ。それから、少し目をつぶった。
「大丈夫ですか」
「大丈夫です。ちょっと眠いだけ」と七瀬は言った。そのまま、また目をつぶった。
10分後、七瀬はベッドの端で眠っていた。
カーディガンもコートも着たままだった。起こすのも悪い気がして、ブランケットをかけた。カメラバッグをベッドの脇に置いた。
俺はソファで、ハリケーンのニュースを音量を落として眺めた。画面の中で、ヒューストンの空が暴れていた。七瀬の寝息だけが聞こえた。
なんとも言えない気持ちだった。
嫌だとか、残念だとか、そういう単純な話じゃなかった。ただ、手が届くところに七瀬がいて、届かなかった。届かせなかった。どちらが正解かもわからなかった。
ハリケーンが窓を叩いていた。
翌朝、空港の再開のアナウンスがあった。
七瀬が先に目を覚ました。ブランケットの中で少し丸くなって、それからゆっくり起き上がった。俺を見て、一瞬固まった。
「すみません」と七瀬は言った。「まさか寝るとは思わなくて」
「疲れていましたから」
「三好さんはどこで」
「ソファで」
七瀬がブランケットを丁寧に折りたたんだ。「ありがとうございます」と言った。「コートも着たまま、だらしなかったですね」
「いえ」
七瀬がカメラバッグを肩に掛けた。「飛行機、飛びますね」と言った。
「そうですね」
「デトロイトで、いい仕事をしてください」
「七瀬さんも、いい写真を」
七瀬がドアを開けた。今度は、振り返った。「昨日、ありがとうございました」と言った。空港のカウンターで言ったときとは、少し違う声だった。
ドアが閉まった。
俺はソファに座ったまま、しばらくそこにいた。窓の外で、ヒューストンの空が少しずつ青くなっていった。
【次話予告】
デトロイトの空港に降り立ったのは翌日の午前中だった。
タクシーの窓から、かつて自動車産業の中心だった街が見えた。
廃墟と再生が同じ地図の上に存在していた。
七瀬が撮りに来た理由がわかる気がした。
夕食は一人で、Apparatus Roomに行った。



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