シンクロニシティ [第5話]
- GENPASS 編集 三好

- 6月29日
- 読了時間: 6分

【第5話】 もう一度、指先が
Selden Standardは、ミッドタウンにある。
2013年開業、James Beard財団のノミネートを複数回受けているファームトゥテーブルのレストランだ。
木と漆喰とレンガが混在した内装は工業的でミニマルだが、温かみがある。
席に着くと、地元の農家と生産者の名前が黒板に書かれている。
入ったとき、この店を選んだのは特に理由がなかった。
ホテルから歩ける距離で、評判がよかった。
それだけだった。
窓際の席に七瀬がいた。
カメラを隣の椅子に置いて、メニューを見ていた。
気づいた。目が合った。
どちらも、最初は何も言わなかった。
俺が席に案内されたのは、七瀬のテーブルの隣だった。
偶然だった。
偶然しかありえなかった。
「デトロイトも一緒ですね」と七瀬が言った。
「そうですね」
「信じられますか、これ」
「信じるしかないですね」
七瀬が笑った。
ヒューストンのバーで聞いた笑いと、同じ温度をしていた。
「隣に来ませんか」と七瀬は言った。
「一人で食べるより、話した方がいいと思って」
「そうですね」
席を移した。
前菜にミシガン産の鴨のコンフィを頼んだ。
低温でじっくり火を入れた鴨の腿肉は、繊維がほぐれるほど柔らかく、皮はパリッと焼き上げられていた。
下に敷かれたレンズ豆のピューレが、肉の旨みをしっかり受け止めていた。
冷えたデトロイトの夜に合う料理だった。
温かく、重く、でもしつこくない。
「今日、何を撮りましたか」と俺は聞いた。
「Michigan Central Stationです。Fordが改修しているところ」
「どうでしたか」
「外だけ撮れました。中には入れなかったから、外の壁と、窓と、空を」と七瀬は言った。
「廃墟じゃない廃墟でした。まだ工事中だから完成はしていないけど、もう廃墟でもない。どっちでもない時間が、一番好きです」
「それを撮りに来たんですね」
「そうかもしれません」
「三好さんは商談、どうでしたか」
「次のステップに進みました」
「うまくいったんですね」
「まだ始まったばかりです」
赤ワインを一本頼んだ。
カリフォルニアのピノ・ノワール。
デキャンタに入れてもらった。
食事が終わって、七瀬が「もう一杯だけ飲みたいですね」と言った。
「The Monarch Clubに行きましょうか」
「どこですか」
「Shinola Hotelの屋上です。デトロイトが見えます」
「行きます」と七瀬は言った。
Monarch Clubはダウンタウンに位置するShinola Hotelの最上階にある。
屋外テラスからデトロイトのスカイラインが広がる。
ルネサンス・センターのガラスの塔が夜の中に浮かんで、デトロイト川の向こうにウィンザーの灯りが見える。
廃墟と再生が混在するこの街の夜景を上から見ると、どちらでもあり、どちらでもないことがよく分かる。
クラフトカクテルを頼んだ。
七瀬はローズマリーのジン・スマッシュを選んだ。
俺はバーボンのネグローニ。
グラスが届いた。
テラスの照明は落ち着いていて、グラスが二つ並んで置かれた。
乾杯しようとしたとき、七瀬の手が俺のグラスに触れた。
「あ」と七瀬が言った。
「取り間違えました」
「これは俺のです」と言いながら、俺の指はすでに七瀬の指の上にあった。
一秒、そのままだった。
ヒューストンのバーで、メニューに手を伸ばしたときと、同じだった。
七瀬が小さく笑った。「また」と言った。
「また、ですね」
「ヒューストンの空港でもそうでしたよね。チェックインのとき、コンシェルジュのカードを同時に出した」
「覚えていましたか」
「覚えています」と七瀬は言った。
グラスを持ち上げた。
デトロイトの夜景が、グラスの中で揺れた。
「今日の偶然の出会いといい、今のこれといい、なんだかシンクロニシティしていますね」
乾杯した。
デトロイトの夜が、眼下に広がっていた。
「東京に戻ったら、また会えますか」と七瀬が言った。
「これだけシンクロニシティが続いているんですから、また会えるでしょう」と俺は言った。
七瀬がうなずいた。
ホテルに戻った。
ロビーで七瀬が「私もここです」と言った。
ヒューストンのときと同じだった。
エレベーターに乗った。
同じフロアだった。
「また同じフロア」と七瀬が言った。
「シンクロニシティですね」と俺は言った。
七瀬が笑った。
廊下を歩いて、俺の部屋の前で止まった。
「入っていいですか」と七瀬が言った。
静かな声だった。
嵐も、ハリケーンも、ない夜だった。
それでも、同じことを言った。
「どうぞ」と俺は言った。
デトロイトの夜は、静かだった。
ヒューストンでは、七瀬はソファのある部屋で眠ってしまった。
ブランケットをかけた。
起こさなかった。
あの夜、手を伸ばしかけて、伸ばせなかった何かがあった。
今夜は、静かだった。
静かなぶん、全部が聞こえた。
七瀬の呼吸、七瀬の声、七瀬が俺の名を呼ぶ声。
鎖骨に触れると、七瀬が少し体をずらした。
胸に触れると、目を細めた。
白い肌が、デトロイトの夜の薄明かりの中で浮いていた。
「——三好さん」
「はい」
「今日、偶然でよかった」
「俺もそう思います」
七瀬が、もう少し近くに来た。
入ったとき、七瀬が声を出した。
抑えようとしたが、出た。
デトロイトの夜は静かで、七瀬の声だけが聞こえた。
「——もっと——」
ゆっくり動いた。
「——待って、それは——」
七瀬が言いかけて、止まった。
止めさせた。
言葉より先に、体が答えた。
七瀬が長く息を吐いた。
それから笑った。
「ずるいですね」と言った。
「どういう意味ですか」
「そういうところが、ずるいです」
しばらくして、七瀬がまた言った。
「ヒューストンでも起こしてくれればよかったのに」
「眠っていましたよ」
「眠ってたんじゃないです」と七瀬は言った。
薄暗がりの中で笑った。
「ずっとそのまま……って思ってたのに」
答えなかった。
窓の外に、デトロイトの夜があった。
【次話予告】
東京で会う約束をして1ヶ月後、代官山のIvy Placeで七瀬は同じ顔で現れた。会話は弾んだ。雰囲気も悪くなかった。ただ、ワイングラスに手を伸ばしたとき、俺たちの指は重ならなかった。1センチか2センチか、ほんの少しだけ、ズレていた。

Selden Standard
ミッドタウン・デトロイト。2013年開業。
James Beard財団のノミネート歴を持つファームトゥテーブルレストラン。
地元の農家と生産者の名前が黒板に書かれ、デトロイトの生産者とシェフが向き合って作るメニューは、
この街が確かに動いていることを証明している。
鴨のコンフィとピノ・ノワール、そして偶然の再会。
The Monarch Club(Shinola Hotel内)
ダウンタウン・デトロイト。
Shinola Hotelの最上階に位置するルーフトップバー。
ルネサンス・センターのガラスの塔とデトロイト川が一望できる。
廃墟と再生が混在する街の夜を上から眺めながら、二度目の「指先が重なる瞬間」が起きた場所。




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