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シンクロニシティ  [第1話/全6話]

  • 執筆者の写真: GENPASS 編集 三好
    GENPASS 編集 三好
  • 6月26日
  • 読了時間: 5分



【第1話】 ハリケーンの前


ハリケーンが来ていた。

ヒューストン・ジョージ・ブッシュ・インターコンチネンタル空港の出発フロアは、いつもと違う音をしていた。

アナウンスが途切れることなく流れ、カウンターに列が殺到し、フライトボードの「CANCELLED」が増え続けていた。

さっきまで30便だったのが、10分で40便になった。

人が動くたびにスーツケースがぶつかり合い、子どもが泣き、老人が壁際でスマホを握りしめていた。


俺のデトロイト行きの便も、30分前にキャンセルになった。

ハリケーン・ルイーズ。カテゴリー3。

テキサス湾岸に向けて北上中。

National Hurricane Centerが「48時間以内に上陸」と発表してから、空港の空気が変わった。

滑走路は閉鎖になり、全便が止まった。

行き場を失った乗客がカウンターに押し寄せた。


カウンターで手続きを終えて、次の便の空きを確認した。

乗れる便は最短でも明後日だった。

ホテルの手配を考え始めたそのとき、気がついた。


列が、動いていない女がいた。

カウンターの右端。4番レーンだった。

他のレーンが少しずつ流れている中、そこだけ止まっていた。

列の先頭に立っているのは、日本人女性だった。


30代前半だろう。

色白の肌、黒髪が肩の少し下まで流れている。

薄いグレーのトレンチコートを着て、プロ用と思しき大きなカメラバッグを肩から提げていた。

体は細く、小さかった。でも背筋は伸びていた。


エアラインのスタッフと言い合いになっていた。

正確には、言い合いというより、彼女が主張し、スタッフが押し返している構図だった。

英語だった。

声は抑えているが、肩に力が入っているのがここからでも分かった。

何度も同じことを確認させられているのだろう。

そういうときの、疲弊しきった目をしていた。


俺は2回ほど目が合っていた。

一度目は彼女の列が動かないのを確認したとき、二度目は彼女が周りを見渡したとき。

どちらも彼女の方は何も言わなかったが、「助けを求めているわけではないが、見られていることは気づいている」という目だった。


手続きが終わっていた俺に、特に急ぐ用事はなかった。

カウンターに近づいた。

「何かあれば」と日本語で声をかけた。

彼女がこちらを振り返った。

少し驚いた顔をして、それからすぐに表情を戻した。


「スタンバイの手続きをしようとしているんですが、次の便のチケットを買わないと手続きできないと言われていて。でも次の便はどれも満席で——」

状況は把握できた。

スタッフに英語で話しかけた。

ハリケーン起因のフライトキャンセルであれば、航空会社側の都合による振替手続きが適用されるはずだと確認した。

スタッフが一度奥に引っ込んで、上の人間を連れてきた。

補償手続きの説明をさせた。

選択肢を3つ並べさせた。

彼女が一番早い振替便を選んだ。

明後日の朝8時だった。


10分後、彼女の手続きが終わった。

「ありがとうございます」と彼女は言った。

日本語だった。

声がわずかに震えていた。

ひと呼吸、置いた。

1時間半張り続けていたものが、10分でほどけたのがわかった。

目が少し潤んでいた。

泣かなかったが、泣きそうだったのは伝わった。


「三好です」と俺は名乗った。

「七瀬です」と彼女は答えた。

名字じゃなく名前を言うタイプだった。

「次の便はいつになりましたか」

「明後日の朝8時です」

「ホテルは」

「まだです」と七瀬は言って、スマホを見た。

「空港周辺のホテルを調べているんですが、どこも残り少なくて、値段が——」


「クレジットカードは何をお持ちですか」

七瀬が財布からカードを出した。

俺が持っているものと同じカード会社だった。

「旅行中のフライトキャンセルに対する宿泊補償が入っています。コンシェルジュに電話すれば、手配してもらえます」

七瀬がカードを見た。

「これに、そんな保険が……」

「読まない部分に書いてあります」

七瀬がわずかに口元を緩めた。

「電話、お願いしてもいいですか」

「もちろん」


電話した。

コンシェルジュが空港近隣のホテルを調べた。

Hyatt Regency Houston Airport——IAHのターミナルCに直結している。

補償適用でどちらも手配できると言われた。


30分後、俺たちは同じホテルのチェックインカウンターに並んでいた。

空港のガラス越しに、空が黒くなっていくのが見えた。

ヤシの木が大きく揺れていた。

雨が斜めに叩きつけていた。

看板が一枚、風に飛んでいくのが見えた。

それを窓の外に見ながら、チェックインをした。


「デトロイトに行く予定だったんですか」と七瀬が聞いた。

「商談で。デトロイトじゃないとできない話があって」

「私もデトロイトです。撮影で」

「写真を」

「フォトグラファーをしています」と七瀬は言った。

トレンチコートの下に、細い肩があった。

カメラバッグが少し重そうだった。

「デトロイトの廃墟と再生を撮りに行く予定でした」


チェックインが終わって、それぞれの部屋番号が書かれたカードを受け取った。

エレベーターに乗った。

4階と10階だった。

4階で七瀬が降りた。


「助けていただいてありがとうございました」

「いえ」

ドアが閉まりかける前に、七瀬が言った。

「下にバーがありますよね」

「ありますね」

「シャワーを浴びたいので、バーに集合しませんか。1時間ほど後で」

「先にバーにいます」と俺は言った。

ドアが閉まった。

窓の外で、ヒューストンの空が落ちてきた。



【次話予告】

バーのカウンターで、七瀬が最初に頼んだのはバーボンのオールドファッションドだった。

「飲めるんですね」と俺が言うと、「ハリケーンのときくらい飲まないと」と言った。

窓の外では、本物のハリケーンが暴れていた。

メニューに同時に手を伸ばしたとき、指先が重なった。




Hyatt Regency Houston Airport

IAHターミナルC直結。2008年開業。

外は嵐、内側だけが静かだった。

ハリケーン・ルイーズの夜、クレジットカードのコンシェルジュが手配した宿。

ここに足を踏み入れなければ、何も始まらなかった。



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