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しあわせの保護色  [第1話 / 全4話]

執筆者の写真: GENPASS 編集 三好
GENPASS 編集 三好
8月14日
読了時間: 5分

更新日:8月18日




【第1話】 彼女の仕事は、俺だった


マカオには初めて来た。

香港国際空港でフェリーに乗り換えて1時間ほど。

タイパ・フェリーターミナルを出ると、コタイの高層ホテル群が夕暮れの中に並んでいた。

ラスベガスに似ていると聞いていたが、どこか違った。

空気が重い。光が多すぎる。

金の匂いがする、と言えばそれに近い。


今回の出張には、表と裏があった。

表の仕事は商談だった。

コタイ・グランド・リゾーツ

——コタイ地区で開発を進める複合リゾートグループが、

VIP送迎用の高級車フリートを一括調達したいという案件だった。

セダン30台、SUV10台。規模は十数億になる。


裏の仕事は確認だった。

「先方の資金源に、きな臭い噂がある」と上司は言った。

「契約の前に、実際に会って確かめてこい。感覚でいい」

感覚、という言葉を上司は好む。

だが今回、俺はその感覚を少し信じることにしていた。


Wynn Palaceはコタイの中心に建っている。

エントランスに入ると、噴水が迎えた。


Performance Lake

——広大な人工湖の上に設えられた舞台装置が、夕暮れの光の中で揺れていた。2016年開業。

ゴンドラが湖面を横切る仕組みになっている。

過剰だとは思わなかった。

マカオはそういう場所だ。


ロビーは金と白と大理石だった。

シャンデリアが重なって光を増幅している。

空調が効きすぎていた。

チェックインカウンターに向かうと、スタッフが静かに頭を下げた。

英語で案内が始まった。


「日本からいらっしゃったんですね」

コンシェルジュデスクに、女性が立っていた。

日本語だった。

細身だった。

黒髪をきっちりとまとめ、制服のジャケットを着ていた。

笑顔だった。整った笑顔だった。

だがその目が——なぜか少し遠かった。

完璧に作られた表情の奥に、もう一枚何かがある気がした。

それが何かは、わからなかった。


「ご不便なことがあれば、何でもおっしゃってください」と彼女は言った。

「雪穂(ゆきほ)と申します。日本人ですので、日本語でもご対応できます」

名前だけ言って、深く頭を下げた。


部屋に荷物を置いて、PCを開いた。

コタイ・グランド・リゾーツの企業概要を改めて確認した。

設立は5年前。コタイ地区の新規開発案件を複数手がけている。

代表者名はある。だが資本構成の詳細は非公開だった。

株主名簿が出てこない。決算公告も見当たらない。

これは珍しい。規模の割に、情報が薄かった。


窓の外、Performance Lakeに照明が入り始めた。

噴水が動いていた。

水が光を受けて、高く上がっては崩れた。

数字より先に、感覚が来た。

上司の言っていた「きな臭い」が、すこしだけ形を持ち始めた気がした。


バーへ下りたのは21時を過ぎてからだった。

Wynn Bar——ロビー階の奥、Performance Lakeに面したガラス張りのバーだ。

テーブルは少なく、カウンターが中心。

琥珀色の照明がバーボンのボトルに反射していた。

窓の外では噴水ショーが始まっていた。

水が音楽に合わせて踊っている。

客が数組、その方向を向いていた。

バーボンのオールドファッションドを頼んだ(MOP130)。

グラスが来た。

口に含むと、オレンジの皮のほろ苦さが先に来た。


明日の商談を頭の中で反復した。

どう探りを入れるか。

相手は何を隠しているか。

「お隣、よろしいですか」

声がした。


振り向くと、雪穂が立っていた。

制服ではなかった。

シンプルな濃紺のワンピース。

仕事終わりらしかった。


「偶然ですね」と彼女は言った。

「そうですね」と俺は答えた。

彼女はカウンターに腰掛けた。

ヴェルモットを頼んだ。

窓の外の噴水を見た。俺も見た。

水が光を受けて、高く上がっては崩れた。

同じ動きを繰り返していた。


「マカオは初めてですか」と雪穂が聞いた。

「ええ」

「どんな印象ですか」

少し考えた。

「光が多すぎる場所だと思いました」


雪穂はグラスを傾けた。

「でも——光が多いところには、影も多いんです」

特別な意味があるような言い方ではなかった。

ただ、頭の中に残った。


話した。

マカオの歴史のこと、ポルトガル統治の痕跡が残る旧市街のこと。

彼女はよく知っていた。

語り口は穏やかで、押しつけがなかった。

俺がどこかに興味を向けると、そこを丁寧に広げた。

仕事の話は一切しなかった。

それが心地よかった。


グラスが空になった頃、

彼女は「お仕事、うまくいくといいですね」

とだけ言って立ち上がった。

「ありがとう、と言えるような結果になるよう努力します」

「期待しています」


言われてみれば、

俺は仕事の話を一言もしていなかった。

コンシェルジュなら予約情報で知っているのだろう、と思った。

それだけだった。


雪穂は微笑んで、バーを出た。

エレベーターホールに向かいながら、ロビーを横切った。

振り返ったのは、特に理由がなかった。


廊下の奥、人のいないあたりに雪穂が立っていた。

スマホを耳に当てていた。

こちらには気づいていなかった。

さっきまでとは違う表情だった。

笑顔はなかった。

目が遠い、という感じでもなかった。

何かを短く、淡々と話していた。


エレベーターのドアが開いた。

俺は乗り込んだ。

別に、おかしなことではなかった。



【次話予告】

翌朝、資料をもう一度確認した。数字より先に、感覚が来た。

昼、雪穂がコタイの旧市街を案内してくれた。

世界遺産の石畳を並んで歩きながら、俺は仕事のことを考えていなかった。

夜は商談相手との会食。うまい料理だった。だが、何かが引っかかったまま終わった。




Wynn Palace(Avenida da Nave Desportiva, Cotai)

2016年開業。コタイ・ストリップを代表する5つ星リゾートホテル。

Performance Lakeと呼ばれる巨大な人工湖を囲むように設計され、毎晩噴水ショーが上演される。

ロビーはゴールドと大理石を基調としたパレス様式で、ゴンドラが湖上を渡るアトラクションはホテルの象徴的な景観のひとつ。光の多さと重さが同居する、マカオらしい空間。

Wynn Bar(Wynn Palace内)

Performance Lakeに面したガラス張りのバー。

ウイスキーとカクテルが充実し、バーボンのオールドファッションド(MOP130〜)がとりわけいい。

噴水ショーの時間帯は窓外の光景がバックに広がる。

喧騒の外側にいるような静けさが、この店の持ち味だった。




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