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気づいたら片想い  [第3話]

執筆者の写真: GENPASS 編集 三好
GENPASS 編集 三好
8月2日
読了時間: 5分

更新日:8月7日




第3話 朝が来る前に


ロビーは静かだった。

深夜のMandarin Orientalは、昼間と別の顔をしている。

大理石の床に、照明が低く落ちていた。

コンシェルジュが遠くで頭を下げた。

俺が後から入ると、ライアはすでにエレベーターホールの前に立っていた。


扉が開いた。

中に入った。鏡に二人が映った。

ライアは正面を向いていた。

俺も正面を向いた。

「まだゲームをしてる気?」

ライアが鏡越しに俺を見た。

「してますよ」

「嘘くさい」

「どうしてですか」

「こんなところに来るのに、ゲームしてる人はいない」

「してますよ、俺は」

ライアが少し笑った。

鏡の中で笑っていた。

「じゃあ、どっちが先に負けるか見ててあげる」


扉が開いた。

部屋に入ると、ライアは真っ直ぐ窓へ向かった。

Passeig de Gràciaのアヴェニューが光の線になって、遠くまで続いていた。

Gaudíの建物のシルエットが夜に浮かんでいる。

バルセロナの夜景は、東京より派手さがなく、それが却って綺麗だった。


「広いじゃない」

ライアが言った。

「言ったでしょう」

「答えなかったくせに」

「答える必要がなかった」

「今は?」

俺は何も言わなかった。

ライアが窓から離れた。

上着のポケットからカードを取り出した。


「いつも持ち歩くんですか」

「習慣」

ライアがカードを扱い始めた。

指の動きが速く、見ているのに何が起きているかわからなかった。

一枚が消えた。

別の場所に現れた。

また消えた。


「ゲームで勝つコツ、知ってる?」

ライアが言った。

「教えてください」

「心で見ること」

カードが扇形に広がった。

どこかに俺の引いたカードがあるはずだった。

どれかはわからない。


「目に見えるものに惑わされたら負け。真実とは限らないから」

俺は黙っていた。

「何が本当で、何が嘘か——見えると思っている人ほど、見えていない」

カードが一枚、俺の手元に飛んできた。

俺が最初に引いたカードだった。


「あなたは? 見えてる?」

ライアが聞いた。

「見えていません」

「正直ね」

「嘘かもしれません」

ライアが笑った。

今夜一番、余計なものが混じっていない笑い方だった。


ライアの髪が広がった。

浅黒い肌が、部屋の照明を受けて温かい色に変わった。

鎖骨の線がくっきりしていて、そこから胸の丸みへの流れが美しかった。

胸は想像していたより形が良く、先端の色は濃く、触れると小さく硬くなった。

腰のくびれに手を当てると、ライアが短く息を吸った。


柔らかかった。

思った以上に柔らかかった。

肌は滑らかで、背中に触れると手のひらが吸い付くような感触があった。

脊椎の線を指でたどると、ライアが肩を少し動かした。

腰の丸みを両手で持つと、ちょうど収まる重さがあった。

太腿の内側は熱く、指を這わせるとライアが俺の肩に手を置いた。

爪が少しだけ立っていた。


キスをした。

ライアは最初、少しだけ力を入れてきた。

それから力が抜けた。

「三好」

名前を呼ばれた。


初めてだった。

「あなた」でも「日本人」でもなく、ただ「三好」だった。

その一言で、ゲームが消えた。


ライアの声が低く変わった。

腰が動いた。

首筋に顔を埋めると、ライアが低く短い声を上げた。

作り声ではなかった

——少なくとも、そうは聞こえなかった。


深夜のバルセロナで、俺たちは長い時間をかけた。

ライアは静かだった。

声は小さく、動きは少なかった。

ただ、息だけが正直だった。

俺が動くたびに、規則的に乱れた。


一度だけ、ライアが俺の背中に両腕を回した瞬間があった。

引き寄せるように。強く。

爪が少しだけ食い込んだ。

その力の入れ方は——プロのクルーピエの手ではなかった。

仕事を知っている人間の手ではなく、ただ誰かを求めている人間の手だった。


終わってから、しばらく二人とも動かなかった。

天井を見ていた。

バルセロナの夜が、窓の外に続いていた。

ライアが先に口を開いた。


「あなた、本当に仕事でバルセロナに来てたの?」

「来てましたよ」

「信じてなかった」

「今は?」

ライアが天井を見たまま言った。

「まだわからない」

また同じ言葉だった。

ただし今夜のそれは、3日前とはまったく違う温度だった。

俺はそれに気づいていた。

ライアも、気づいているはずだった。

だから二人とも、何も言わなかった。


目が覚めたとき、ライアは窓際にいた。

夜が明けていた。

白いシャツを一枚だけ羽織って、バルセロナの朝を見ていた。

光が白い時間で、街がまだ眠っている。

遠くからバイクの音がひとつだけ聞こえた。


「起きてたんですか」

「早いの、いつも」

ライアは窓から離れず言った。

シャツの裾が太腿の途中まであって、素足がフローリングについていた。

後ろ姿だけで見れば、昨夜のことなど知らない人間のように落ち着いていた。


しばらく、どちらも黙っていた。

「昨日、名前で呼びましたか」

ライアが振り返った。

少しだけ意外そうな顔をした。

「呼んだ」

「珍しいですね」

「あなたが珍しいから」

それだけ言って、またバルセロナを見た。


仮面が、まだ戻りきっていない朝の空気があった。

昨夜のことがどこかに残っていて、でも二人ともそれを確認しようとはしなかった。

それを確認することが——二人の間のルールに反する気がした。


「朝ごはん、知ってるところある? バルセロナ」

「バルセロナは詳しくないので」

「じゃあ、連れてってあげる」

俺は体を起こした。

窓の外で、バルセロナが少しずつ明るくなっていた。

光の中でライアの横顔が見えた。

昨夜と同じ顔だが、少しだけ違う顔でもあった。

どちらが本当の顔なのか——俺にはまだ、わからなかった。


ライアが外を見たまま、静かに言った。

「今日、何時に発つの?」

「昼のフライトです」

間があった。

「じゃあ、朝はある」

それが何を意味するのか——俺はすぐに答えを出さなかった。



【次話予告】

最終日の朝。俺たちはバルセロナを歩いた。

終わりが来ることを、二人とも知っていた。

でも、どちらもそれを口にしなかった——最後まで。




Mandarin Oriental Barcelona(Passeig de Gràcia 38-40)

バルセロナの目抜き通りに面した5つ星ホテル。

GaudíのCasa Batlló、Casa Lleó Moreraが目の前に見える。

深夜のロビーは昼間と別の静けさを持っている。



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