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気づいたら片想い  [第2話]

執筆者の写真: GENPASS 編集 三好
GENPASS 編集 三好
8月1日
読了時間: 5分

更新日:8月7日




第2話 見た目と中身の話


約束は午後2時だった。

El Born地区の路地の入り口。

ライアが指定した角に俺が着いたのは、1分前だった。


ライアはもういた。

「遅い」

石畳に足をついて立っていた。

白いリネンのシャツ、細身のパンツ。

昨日の制服とも、バーで見た私服とも違う。


「定時ですよ」

「私が10分前から来ていただけ」

言ってしまったのだ。

10分前から来ていた、という事実を。自分から。


俺は何も言わなかった。

ライアも気づいたようで、一瞬だけ目を細めた。

「行きましょう」

先に歩き出した。


ゴシック地区の路地は細い。

石畳が続いて、壁がせり出して、空が少ししか見えない。

観光客の声がいくつかの言語で飛んでくる。

ライアは迷わず歩いた。

この街が体に入っている人間の歩き方だった。


前を向いたまま、ライアが言った。

「バルセロナ、好きになった?」

「まだわかりません」

「3日目でしょ」

「知れば知るほどわからなくなる場所が、あります」

ライアが横目で俺を見た。

1秒だけ。


「それ、バルセロナの話?」

「バルセロナの話です」

「そう」

ライアがそれだけ言って、少しだけ笑った。


ライアは路地の奥にある小さなバルに俺を連れていった。

観光客が来ないような場所で、カウンターに地元の老人が二人いた。

エスプレッソを飲んで、少しだけ立った。

それだけだった。


「観光で来る人には見せない場所ですね」

「仕事で来た人にも」

「俺は?」

ライアはエスプレッソのカップを置いた。

「まだわからない」

また同じ言葉だった。

ただ、昨日より少しだけ温度が違った。


夜は、Disfrutarに行った。

カタルーニャ語で「楽しむ」を意味する店だ。

3人のシェフが切り盛りしている

——かつて世界一と言われた厨房で腕を磨き、自分たちの店を出した。

Carrer de Villarroel、白を基調にした空間に、料理が運ばれるたびに予想が裏切られる。コース€285。


最初に来たのは、グリーンオリーブに見える球体だった。

「食べて」

ライアが俺に言った。

口に入れた。外皮が弾けた。

中から液体のオリーブが広がった。

形はオリーブ。でも中身は、形とは別の次元にある何かだった。


「驚いた?」

ライアが聞いた。

「外から見ただけじゃわからないですね」

「だから食べる意味がある」

「料理の話ですか」

ライアが少し笑った。

「そのくらいにしておいてあげる」

俺は何も返さなかった。

返す必要がなかった。


コースが進む中で、俺はひとつだけ聞いた。

「最初のテーブル、覚えてますか」

「初日のこと?」

「18歳のとき」

「覚えてる」とライアが返した。

「緊張しませんでしたか」

「全員、顔が見えなかった」

「今は?」

ライアはフォークを止めた。


「全員、顔が見える。それが問題」

「どういう意味ですか」

「全員読めるのに、飽きてきた」

そこで口を閉じた。

飽きてきた

——という言葉が出てしまったことに、ライア自身が気づいた様子だった。


「俺の顔は見えましたか」

ライアは答えなかった。

代わりにワインを一口飲んだ。

それが答えだった。


Paradiso、El Born。

入口はパストラミのデリカテッセンで、冷蔵庫に見える扉の奥にバーがある。

世界一と言われているバーで、ライアが予約を入れていた。

カクテルは一杯€18。

店内は狭く、薄暗く、人の声が低く重なっていた。

席に着いて、ライアが聞いた。


「ここ、好き?」

「入り口と中身が違うから、ですか」

「それだけじゃないけど」

「見た目が全てじゃないと、教えてくれているみたいで」


ライアが俺を見た。

「あなたのこと、まだ読めない」

「昨日もそう言ってましたね」

「昨日と今日で変わったから」


三好が聞いた。

「どっちに?」

「もっとわからなくなった」

「それは教えてくれるんですね」

ライアがカクテルを持ち上げた。

「教えてあげてる、と思ってくれていい」

グラスの縁が光を受けて、少し揺れた。

「ひとつだけ聞いていいですか」

俺が言った。


「どうぞ」

「今夜、楽しんでいますか」

ライアが少しだけ間を置いた。

「楽しんでいるかどうか、答えたら負けね」

「そうですね」

「あなたは?」

「俺も、答えたら負け……と言ってしまいたいんですが。楽しんでますよ」


ライアが少しだけ止まった。

「……それは本気?」

「どう思いますか」

ライアが笑った。

今日初めて、作っていない笑い方だと思った。

少なくとも、そう見えた。

夜が、深くなっていた。

深夜、Paradisoを出た。


El Bornの路地は静かだった。

遠くからまだ人の声がしている。

俺はMandarin Orientalの方角に歩き始めた。

ライアが、隣を歩いていた。

どこへ向かうのか、聞かなかった。

向かい合って確認するようなことは——二人の間のルールに反する気がした。


「どこ泊まってるの」

ライアが言った。

「Mandarin Oriental。Passeig de Gràciaです」

「知ってる」

それだけ言って、ライアは黙った。

歩みは止まらなかった。


Mandarin Orientalの入口が見えた。

自動ドアの前でライアが足を緩めた。

「広い?」

「部屋ですか」

「そう」

俺は答えなかった。

ライアが、先に扉をくぐった。



【次話予告】

その夜、どちらも「終わりにしよう」とは言わなかった。

Mandarin Orientalのロビーで、俺たちはまだ化かし合いを続けていた。

ただ——裸になると、ゲームが少しだけ変わった。




路地の小さなバル(El Born地区)

観光客が来ない、地元の人間だけが知る路地奥のバル。

エスプレッソを一杯。老人が二人、テレビのニュースを見ていた。

ライアが連れていく場所は、いつもそういうところだった。

Disfrutar(Carrer de Villarroel 163)

3人のシェフが運営するバルセロナを代表するレストラン。

コースの皿は形と中身が常にズレている設計

——それが快感になる。コース€285〜。予約は早めに。

Paradiso(Carrer de la Barra de Ferro 26, El Born)

入口はパストラミのデリカテッセン。

冷蔵庫に見える扉の奥にバーがある。

世界のベストバー50に選ばれたことがある空間。カクテル€18前後。予約推奨。



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