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気づいたら片想い  [第1話 / 全4話]

執筆者の写真: GENPASS 編集 三好
GENPASS 編集 三好
7月31日
読了時間: 5分

更新日:8月7日




【第1話】 誰の手も読んでいる女


バルセロナに来る理由が仕事であることに、誰も疑いを持たない。

SEAT本社とのEV部品商談

——正確にはCupraの新型モデルに搭載するモーター周辺部品の調達先をアジアに移す話だ。

3日間の出張で、午前は会議、午後は工場確認か資料作業、夜は自由だった。

自由、というのが曖昧な言葉だと思う。


3日目の夜、俺はカジノにいた。

前夜にFCバルセロナが試合に勝ったらしく、Port Olímpicあたりのバルはまだどこか浮かれた空気が残っていた。

そういう街の熱から少しだけ離れたくなって、Casino de Barcelonaに足を向けた。

人が多い場所より、ルールだけで支配された静けさの方が落ち着く夜がある。


ブラックジャックのテーブルに着いた。

ディーラーが、カードを切っていた。

最初に見たのは顔じゃなく、手だった。

無駄がない。速い。力を使っていない。

感情を排除した、というより——感情を使う必要がないことを知っている手の動きだった。


見上げると、目が合った。

ディーラーは、1秒も無駄にしなかった。

日本人。ビジネスで来ている。

カジノに慣れていない。観光客ではない——

その計算が、目の奥で走っているのが見えた。


ディーラーが「Buenas」と言った。

俺は同じ言葉を返した。それだけだった。

3ラウンドやった。勝ちも負けもしなかった。

ただし俺が気になったのはそこじゃない。


2ラウンド目の途中から、ディーラーの読み方が変わっていた。

最初の計算が合わなかったのだ。

「よくいるタイプ」と読んだはずの男が、よくいるタイプの反応をしなかった。

そのことに気づいた瞬間——2枚目のカードが捌かれる0.5秒の間——ディーラーの目が、ほんのわずか細くなった。


俺はそれを見た。

そのディーラーがそれを見られたことに気づいたかどうか——断言できなかった。

3ラウンドが終わって、ディーラーが交代の時間になった。



俺は席を立ってカジノを出た。

Port Olímpicの海沿いを少し歩いて、テラス席のあるバーに入った。

カヴァを頼んで、ひとりで飲んでいた。


15分ほどして、その女が来た。

制服から白いブラウスと黒のスラックスに着替えている。

化粧は薄い。

さっきより3歳ぶん若く見えた。

ここに来るのが習慣なのか、俺がいると読んで来たのか——どちらとも言えなかった。


女は俺に気づいた様子で、隣に来た。

何も言わずにバーテンダーにカヴァを注文した。

先手を打ってきたのは、向こうだった。


「さっきのテーブルにいた人ね」

「さすが。よく覚えていましたね」

「読んだよ」

ライアはタメ口だった。

俺は敬語で返した。

それが最初から、俺たちのルールだった。


「いくつ、当たりましたか」

一瞬、止まった。

「日本人と、仕事でここに来てる、は当たった」

「3つ目は」

またカヴァを一口飲む。

「まだわからない」

正面から俺を見た。

「あなたは? 私のこと、読んだ?」


名前を聞いた。ライアと言った。

スペイン人の名前はカタルーニャ語由来のものが多いと、どこかで読んだことがある。

27歳。クルーピエ歴は7年。

「18になってすぐ始めた」と言った。

早い、と俺が言うと「体力が必要な仕事だから」と笑った。

その笑い方が妙にサバサバしていて——損か得かで言えば、得に見えた。


この仕事が好きだと、言った。

好きという言葉が嘘ではないのはわかった。

ただし、その笑い方が——本当に仕事が好きだから出てきた笑顔なのか、

そう言うのが正解だと知って作った笑顔なのか——どちらかを断定できなかった。


嘘の上手い人間は、嘘の中に少しだけ本当を混ぜる。

相手がそれを信じるのは、本当の部分に気づくからだ——と、どこかで読んだことがある。

だとすれば、この女の言葉の中にも、

本当がどこかに混じっているかもしれなかった。

それが厄介だった。


「仕事、向いていますか」

「誰よりもね」

「それで、十分?」

ライアは答えなかった。

代わりに、薄く笑った。

挑発ではない。

試している、とも違う。

初めて見る表情だった。


「面白いこと聞くね」

「面白いと思いましたか」

「思ったわよ」

「本当に?」

またライアが止まった。

そこで気づいた。

この女は、返しを考えるときに止まるのではなく——止まること自体が、答えになっている。


「……ずるい聞き方するね」

ライアが笑いながら言った。

本音が少しだけ滲んでいた。

「どっちが先にカードを見せますか」

ライアは眉を少し上げた。


「先に見せた方が負けよ」

「そうですね」

「あなたも、そう思ってる?」

「別に見せてもいいと思ってますよ」

ライアが少しだけ止まった。

「……嘘ね」

「どうして」

「本気でそう思ってる人は、そんな言い方しない」

俺は何も言わなかった。

向こうが正しいかもしれなかった。

ただ、正しいと認めることもしなかった。


化かし合いだった。

ライアが立ち上がった。

財布を出してバーテンダーに何かスペイン語で言う。


「明日、午後は空いてる?」

「午前に仕事があります」

「午後は?」

「今のところ、予定なし」

「じゃ、連絡して」

「番号、知りません」


ライアは振り返らずに、バーカウンターのコースターを一枚取った。

裏側に何かを書いて、テーブルにディーラーのように置いた。

「今ここで聞けばよかったね」

振り返ったライアが、笑いかけた。

その笑いが本気なのか、それとも仕事の延長なのか——

俺には、まだ判断できなかった。


コースターを手に、夜のPort Olímpicを歩いた。

地中海の風が来た。

遠くにヨットの灯りが見える。

FCバルセロナが勝った夜の余韻がまだどこかに残っていた。


何かが始まる予感がしていた。

ただし、それが何なのかは——もう少しだけわからないままでいたかった。



【次話予告】

翌日の午後、ライアが指定したのはカジノとは正反対のバルセロナだった。

El Bornの石畳の路地で、俺たちは化かし合いを続けた。

そしてどちらが先に本音を出すか——俺はまだ、判断していなかった。




Casino de Barcelona(Port Olímpic地区)

Port Olímpicに面したカジノ。ブラックジャックのテーブルが並ぶフロアは落ち着いた照明で、音が吸い込まれるような静けさがある。クルーピエたちのプロフェッショナリズムが、その静けさの正体だ。

Port Olímpicのテラスバー

カジノを出てすぐ、地中海に面した屋外テラスのバー。カヴァを一杯。ヨットの灯りが遠くに見える夜に、バルセロナの始まりがある。



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