山田には、言えない [第3話]
- GENPASS 編集 三好

- 5月24日
- 読了時間: 4分

【第3話】 Atlas Barの後で
Atlas BarはParkview Squareの1階にある。
1920年代のアール・デコ様式の吹き抜けが広がり、天井まで続くジンのタワーが壁を埋めている。
1000種以上のジン。
それだけで、ここがどういう場所かが分かる。
真夜中に来ても満席に近い。
世界中から来た人間が、この空間で飲んでいる。
3人でカウンターに並んだ。
山田が今夜決める気でいることは、俺には分かった。
こういうとき、男の気配は変わる。
少し緊張した動き方になる。
グラスを持つ手の置き方が、昨夜と少し違う。
ユイへの話しかけ方が真剣だった。
俺は少し引いた位置でジンを飲んでいた。
アール・デコの天井が高く、1920年代の金色が光の中で揺れていた。
いい店だ、と思った。
こういう店に連れてきた山田の選択は悪くなかった。
ただ、店が良くても、男が良くなるわけではない。
ジントニックを2杯飲んだ頃、山田が動いた。
「ユイさん、連絡先、教えてもらえますか。」
間があった。
「ごめんなさい。」
山田の顔が固まった。
「いや、そういうつもりじゃなくて、」と山田は言った。
「分かってます。」
ユイは笑顔のまま言った。
「ただ、ごめんなさい。」
それ以上の説明はなかった。
山田も聞かなかった。
30分ほど3人で飲んだが、空気が変わっていた。
山田が「先に戻ります」と言った。
疲れた顔をしていた。
若さがそういうとき正直に出る。
「ゆっくりしてきてください」と言って、先に席を立った。
俺とユイが残った。
「悪いことした」とユイは言った。
「山田は大丈夫。」
「聞かないんですか。」
「何を。」
「なんで断ったか。」
「関係ない。」
俺はジンを飲んだ。
ユイも飲んだ。
しばらく何も言わなかった。
1920年代の天井が高く、アール・デコの金色が照明に揺れていた。
俺たちの他にも客がいて、英語とフランス語と、何かもっと遠い言語が混ざって聞こえてきた。
こういう夜がシンガポールにはある。
国籍も年齢も関係なく、同じ空間で酒を飲んでいる夜。
「三好さんは山田くんのこと、ちゃんと見てますよね」とユイが言った。
「部下だから。」
「それだけじゃない感じがする。」
俺は答えなかった。
グラスを置いた。
ユイがこちらを見ていた。
先ほどより、少し近い気がした。
距離が変わったのか、俺の感覚が変わったのか、どちらか分からなかった。
「帰りたくないな」とユイは言った。
声が少し小さくなっていた。
旅の最終夜の、正直な言葉だ。
「もう少し飲む?」と俺は言った。
「飲みます。」
ユイの部屋はThe Fullertonの8階にあった。
俺の部屋は6階だ。
山田がどこにいるか、正確には知らなかった。
廊下を歩きながら、その数字が頭の隅にあった。
それだけだった。
ドアが開いた。
ユイの体は、会った瞬間からその存在を主張していた。
細い肩に似合わない胸元の重さ。
触れると、その重さがそのまま手に伝わってくる。
柔らかく、温かく、引力があった。
シャツを脱ぐと、白い肌がシンガポールの夜の灯りの中で浮かんだ。
鎖骨から胸へ続く線に、細い体と釣り合わない豊かさが静かに存在していた。
顔は幼いままだった。
目を閉じると、幼さがより際立った。
声を抑えていた。
同じホテルだ、という意識が彼女にもあったのかもしれない。
抑えた声が、かえって体の正直さを伝えてきた。
ゆっくりやった。急かなかった。急がせなかった。
しばらく経って、ユイの力が溶けていった。
最初の緊張が取れると、こちらの動きに体が素直になった。
目を閉じずに、こちらを見ていた。
一度だけ声が大きくなって、自分で口を押さえた。
廊下に人の気配がした気がした。
聞き間違いだったかもしれない。
どちらにしても、俺たちは止まらなかった。
夜中の2時を過ぎた頃、ユイが俺の胸に頭を乗せた。
呼吸が落ち着いていた。
外の街はまだ光っていた。
シンガポールは夜でも明るい。
それだけは東京と似ている。
「山田くんには悪いことしたな」と彼女は言った。
「俺にも言うな。」
「三好さんには言っていい気がして。」
俺は何も言わなかった。
天井を見ていた。
何かを言える立場ではなかった。
山田のことを考えた。
翌朝の朝食のことを考えた。
何事もなかった顔で向かい合う朝のことを。
それができる自信はあった。
やり慣れているわけではないが、やれる気がした。
それが良いことかどうかは、判断しないことにした。
【最終話】 3人で飲んだ、あの春 に続く。

Atlas Bar(アトラス・バー)/基本情報
住所: Parkview Square, 600 North Bridge Road, Singapore
おすすめ: ジントニック(S$24〜)、シグネチャーマティーニ
特徴: 1920年代アール・デコ様式の吹き抜けが広がる伝説的なバー。
世界最大規模のジンコレクション(1000種以上)を誇り、建築空間とカクテルの水準で世界的に評価される。
スマートカジュアル以上が必須。



![山田には、言えない [最終話]](https://static.wixstatic.com/media/37d521_90f30a82166e4cc482b8e8ab654d2aab~mv2.png/v1/fill/w_980,h_552,al_c,q_90,usm_0.66_1.00_0.01,enc_avif,quality_auto/37d521_90f30a82166e4cc482b8e8ab654d2aab~mv2.png)
![山田には、言えない [第2話]](https://static.wixstatic.com/media/37d521_6f160538d75849f6b980cf9fc7786c8f~mv2.png/v1/fill/w_980,h_552,al_c,q_90,usm_0.66_1.00_0.01,enc_avif,quality_auto/37d521_6f160538d75849f6b980cf9fc7786c8f~mv2.png)
![山田には、言えない [第1話/全4話]](https://static.wixstatic.com/media/37d521_bff0dc0dbca4456f9273a8dbbe2d2c14~mv2.png/v1/fill/w_980,h_552,al_c,q_90,usm_0.66_1.00_0.01,enc_avif,quality_auto/37d521_bff0dc0dbca4456f9273a8dbbe2d2c14~mv2.png)
コメント