全部、夢のまま [最終話]
- GENPASS 編集 三好

- 7月20日
- 読了時間: 4分

【最終話】 全部、夢のまま
前日、どこかに連れていくつもりはなかった。
夕方にロビーで会って、近くのカフェに入った。
観光でも、ディナーでもない時間だった。
ただ座っていた。
コーヒーを飲んだ。
何かを話したが、あとから何を話したか思い出せない種類の会話だった。
マニラのことを話した。
フィリピンの話をした。
何度来ても旅行者の目線しかないと俺が言うと、
「三好さんには永遠に旅行者の目線でいてほしい」とベラが言った。
「なぜ」と聞くと、
「そういう目で見られると、自分も少し違う場所に見える気がするから」と答えた。
それがこの4日間で一番正直な言葉だった。
「明日、何時のフライトですか」
「午後一番の便です」
彼女が少し笑った。
でも目は笑っていなかった。
それが何を意味しているか、俺にはわかっていた。
彼女が何を計算しているかも、察しはついていた。
「三好さん」
「ベラ」
彼女が止まった。
俺は軽く首を振った。
それだけで十分だった。
夜、ホテルの前で別れた。
「また明日」とは、どちらも言わなかった。
それが答えだった。
翌朝。
鏡の中に白いドレスがある。
ベラはしばらくそれを見ていた。
今日が、その日だった。
ヘアスタイリストが来た。
メイクアップアーティストが来た。
式場のコーディネーターから確認の連絡が入った。
準備は整っているという内容だった。
スマホを見た。
三好からのメッセージはなかった。
LINEを開いた。
何かを打ちかけた。消した。
また打ちかけた。消した。
3度目に打って、送った。
「ありがとうございました」
既読になった。返信はなかった。
スタイリストが仕上げを終えた。
鏡の前に立った。
完璧なReyes家の娘が映っていた。
イザベラ・レイエスが映っていた。
ベラは、どこにもいなかった。
良かったとも後悔したとも思わなかった。
ただ鏡を見た。
スマホが振動した。
「ベラ。マニラ、よかったです。」
空港からだ、とわかった。
既読をつけて何も返さないでいる人間が、
わざわざ送ってくる種類のメッセージだった。
最後に一言だけ残して、
それで終わりにするつもりだ。
そういうことだった。
コーディネーターが部屋のドアをノックした。
式場へお越しの時間ですと言った。
ベラは立ち上がった。
「ちょっと待って」と言った。
返事を聞く前に玄関を出た。
NIAターミナル2。
白いドレスで空港に来た女を、周囲はじっと見た。
ベラには見えていなかった。
保安検査の手前のエリア。
ゲートに向かう人の流れの中に、見覚えのあるスーツ姿があった。
「三好さん——っ」
振り返らなかった。
「三好さん」
駆け寄って、その腕を掴んだ。
三好が止まった。振り返った。
白いドレスを着た女が立っていた。
ヴェールが少し乱れていた。
ヒールで走ってきた跡が、裾についていた。
少しも驚かない顔だった。
「知ってますよ」
静かに言った。
「だから、本気になっちゃった方が負けなんですよ」
薄く笑った。
腕をそっと離した。
ゲートへ歩き出した。
「三好さん」
足が止まった。振り返りはしなかった。
「……次にマニラに来るとき、また会えるよね」
三好が右手を、後ろ向きに一度だけ静かに上げた。
それから歩き出した。
俺は見送らなかった。もう振り返らなかった。
ベラはしばらくその場に立っていた。
スマホを取り出した。
LINEを開いた。打ち込んだ。
「次にマニラに来るとき、また会えるよね」
送信した。
既読になった。
返信はなかった。
タクシーに乗った。
式場に向かった。
ドレスの裾が座席に広がった。
窓の外にマカティの高層ビルが流れていった。
スマホを握ったまま、何も見ていなかった。
アヤラ・センターの交差点を通り過ぎた。
Rafflesの白い外壁が一瞬見えた。
挙式の開始5分前に会場に着いた。
ロビーでは数人のスタッフが立ちすくんでいた。
家族の誰かが廊下で電話をしていた。
式場のコーディネーターが無線でやり取りしていた。
花嫁がいない。
それだけで、会場全体がざわめいていた。
Reyes家の娘は、完璧な笑顔で入場した。
誰が見ても完璧だった。
ベラがどこにいたかは、誰も知らなかった。
東京行きの便は定刻に離陸した。
三好は窓側の席に座っていた。
眼下にマニラ湾が広がっていた。
水平線に向かって機体が向きを変えた頃、スマホを取り出した。
未読のLINEを開いた。
「次にマニラに来るとき、また会えるよね」
既読にした。
窓の外を見た。
マニラ湾はもう見えなかった。
雲の上だった。
機内モードにした。
スマホを伏せた。
目を閉じた。
全部、夢のまま——
<完>

Ninoy Aquino International Airport Terminal 2 / 基本情報
NAIA Road, Paranaque City
ANA・JAL等の日系航空会社はターミナル2を使用。
マカティからタクシーで30〜45分(渋滞時はそれ以上)。
出国の際はターミナル使用料の支払いが必要なケースあり。
事前確認を推奨。
空港内の売店は限られているため、市内で買い物は済ませておくこと。



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