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何度目の青空か?  [第2話]

執筆者の写真: GENPASS 編集 三好
GENPASS 編集 三好
9月5日
読了時間: 5分

更新日:7 日前




【第2話】 逃げていない


翌朝、目が覚めると、窓の外には青空が広がっていた。

サンパウロの空はまた、どこまでも青かった。


「田中は嘘をついた。高橋さんは何も悪いことをしていなかった」


老人の言葉を英語に直して伝えると、ルイーザは黙った。

声が揺れなかった。

表情が、少しだけ変わった。

ほんの一瞬、何か大切なものを確かめる顔をした。

それからまた、静かな顔に戻った。


「高橋は、私の祖父の名前です」

「でも、高橋という苗字は——」

と三好は言いかけた。

「渡辺義雄という名前が、祖母の手紙にありました」

とルイーザは続けた。

「だから来た。その人に会いに来た」

立ち去るつもりはないようだった。


老人に話を聞かせてほしいと言った。三好を見た。

「通訳してもらえますか」と続けた。


通訳。三好はその言葉を一瞬考えた。

明日も商談があった。夜は早く寝るつもりだった。

今夜のことはすでに「仕事以外」の領域に入りかけていた。

それでも、断ってはいけないような空気があった。

ルイーザは答えを待っていた。


渡辺老人は最初、頑なだった。

ルイーザがポルトガル語で話しかけると、老人は首を振った。

三好が日本語で「少しだけ聞かせてください」と言うと、老人は長い間、三好の顔を見た。

それから「少しだけだ」と言った。


リベルダーデの路地の奥に、古い日系食堂があった。

ルイーザが連れていった店だった。

看板に「金太郎(Kintaro)」と書いてあった。

入口の張り紙に、1958年創業とあった。

蛍光灯の白い光、木のテーブル、プラスチックのコップに注がれる水。

壁に色褪せた日本語のポスターが貼ってあった。

観光客向けではない、日系人のための場所だった。


席についてから、三好は名前を聞いていなかったことに気づいた。

「三好です」と名乗ると、「高橋ルイーザです」と彼女は答えた。


チキンカツカレーを頼んだ(R$52)。

日本のカレーより薄く、甘さが少し強かった。

でも不思議と落ち着いた。

誰かが遠い場所で「あの味」を再現しようとして、

でも少しずつ変わっていった痕跡が、スプーンの上にあった。

「日本のカレー」でも「ブラジルの料理」でもない。

その中間に、いつの間にか生まれたものだった。


ルイーザはコーヒーだけ頼んだ。

食べることより話すことに集中していた。


渡辺老人はただ座っていた。

手が少し震えていた。

メニューを広げることもなく、

水のコップを両手で包むようにして、じっと何かを待っていた。


彼女の祖父の名前は高橋 実(たかはし みのる)。

1920年代に熊本からブラジルへ渡った。

コーヒー農園で数年働き、その後サンパウロへ出てきた。

終戦後、日系人コミュニティでいわゆる「負け組」と呼ばれる立場にいた——

日本の敗戦を受け入れ、ブラジルで根を張って生きていこうと呼びかけていた側だ。


「1946年に、消えました」

とルイーザは英語で言った。

「家族には『恥をかいて逃げた』と伝えられた。ずっとそう思っていた」


去年、祖母が亡くなった。

遺品の中から古い手紙が出てきた。

日本語で書かれていて、ルイーザには読めなかった。

翻訳してもらうと、差出人は当時の知人で、こう書いてあった——


「実さんは逃げたのではない。でも私には何もできなかった」。


「その一行だけが、ずっと頭から離れない」

と言った。視線をテーブルの木目に落とした。


三好はそれを渡辺老人に訳した。

老人は目を閉じたまま、しばらくいた。

「逃げていない」

静かな声だった。


「高橋さんは、逃げていない。私はあの夜、そこにいた。見ていた」

三好が英語に直すと、ルイーザの目が一瞬だけ潤んだように見えた。

すぐに引き締まった。


「田中、とは誰ですか」

と三好は日本語で聞いた。

老人が目を開けた。


「田中 清。あの頃、いわゆる勝ち組のまとめ役だった男だ。もう死んでいる。70年以上前の話だ」

三好は「田中 清」という名前を頭の中で繰り返した。


エドゥアルド・田中の祖父の名前を、三好はまだ確認していなかった。

でも、田中自動車部品の創業者、と自己紹介していた。

書類には1950年代創業とあった。

1946年から続く話の、その先にいる一族。


田中なんてたくさんいるし、偶然かもしれない。

でも、偶然と決める根拠もまだない。


老人は急にせき込み始めた。

しばらく収まらなかった。

「……続きはまた今度にしてくれ」と老人は言った。

立ち上がろうとして、三好が腕を支えた。

老人はそれだけで足りた。

食堂の外へ、ゆっくりと消えていった。


ルイーザは残ったコーヒーを一口飲んだ。

しばらく何も言わなかった。

「ありがとうございました」

と英語で言った。

三好に向けた言葉だった。



Fasanoに戻ったのは、夜の11時を過ぎていた。

フロントの女性がカードキーを渡しながら言った。

「お手紙をお預かりしています」


封筒だった。

ホテルのロゴも消印もない。宛名だけ——

三好の名前が、漢字で書かれていた。


部屋に入って開けた。

紙が一枚。

タイプされた英語の文字が三行あった。


"Stop asking questions that are not yours to ask. This is a warning. Stay away from the old man and this matter."

(あなたが口を出すべき問いではない。これは警告だ。老人とこの件にはかかわるな。)


三好は紙を持ったまま、しばらく立っていた。

窓の外でサンパウロの夜景が広がっていた。

超高層ビルの灯りが、地平線まで続いていた。


三好がこのホテルに宿泊していることを知っている人間が、

渡辺老人に会ったことも知っていた。

どこで、誰が見ていたのか。

リベルダーデの路地に、誰かがいた。

その答えを三好は持っていなかった。

紙をたたんで、上着の内ポケットにしまった。



【次話予告】

翌朝、渡辺義雄から連絡があった。「続きを話す気になった。1946年11月の夜のことを」——

三好はルイーザに伝えた。脅迫状のことは、まだ言わなかった。

リベルダーデへ向かう路地を歩いていると、同じ人影が二度、視界の端に現れた。




Restaurante Kintaro(金太郎)(Rua São Joaquim, Liberdade, São Paulo)

1958年創業。リベルダーデを代表する老舗日系食堂で、日系人コミュニティが長年通い続けてきた店。観光客向けに整えられた洗練はなく、蛍光灯と木のテーブルと色褪せたポスターだけがある。チキンカツカレー(R$52〜)は、日本のカレーとも、ブラジル料理とも違う。遠い場所で誰かが「あの味」を再現しようとして、時間とともに変化していった料理だ。



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