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何度目の青空か?  [第1話 / 全4話]

執筆者の写真: GENPASS 編集 三好
GENPASS 編集 三好
9月4日
読了時間: 6分

更新日:7 日前




【第1話】 何かを追っている目だった


サンパウロに降りたのは、現地時間の午後3時過ぎだった。

グアルーリョス国際空港から市内まで、渋滞で1時間以上かかった。

窓の外に超高層ビルが続いた。

東京に似ているが、密度が違う。

コンクリートの塊が、地平線の向こうまで広がっていた。

その上に、青空が広がっていた。

コンクリートに押し込まれた街の上だけが、遮るものなく青かった。

人口2200万。南米最大の都市。


これほどの規模の街が、なぜか知られていない。

ブラジルといえばリオデジャネイロ。

コパカバーナ、カーニバル、サンバ。

サンパウロは違う。働く街だ。稼ぐ街だ。

日本でいえば東京で、リオは京都か沖縄か——

そういう街だと着陸前に読み直した資料に書いてあった。



Fasano São Pauloにチェックインした。

ジャルジンス地区の静かな通りに面したホテルだ。

1920年代のヨーロッパを意識したクラシックな内装。

高い天井、重厚な家具、廊下の灯りが低く落ち着いていた。

部屋に入ると、窓の外にジャカランダの木が見えた。

紫の花が夕暮れの光を受けていた。

その向こうに、まだ青空が残っていた。

東京にはない色が、二つあった。



翌朝、ABC地区へ向かった。

サンパウロ南東部——聖アンドレー市。

日本の自動車産業が1950年代から製造拠点を置いてきた地域だ。

トヨタ、ホンダ、日産。

その裾野を支えるサプライヤーが工業団地に密集している。

田中自動車部品(Tanaka Automotive Parts S.A.)もその一つだ。


会議室はガラス張りで、向こう側に工場の屋根が見えた。

担当者はエドゥアルド・田中、42歳。

創業者の孫にあたると自己紹介した。

英語は流暢だった。

スライドは整然としていた。

ブレーキキャリパーの精度、品質管理体制、欧州向け認証の取得状況。

数字に問題はなかった。


「工場を見せてもらえますか」

と三好は言った。

「もちろんです」

とエドゥアルドは即座に答えた。


見学は丁寧だった。

ラインは動いていた。

作業員の動きに無駄がなかった。

問題を探したが、見当たらなかった。

問題がないことが、時として気になる。



夜、一人でD.O.M.に入った。

ジャルジンス地区の路地に面した、小さな外観のレストランだ。

中に入ると空気が変わった。

木の温もりと間接照明。客は20人ほど。

声が低く、笑いが抑えられていた。

世界50ベストに何度も名を連ねた店だと、東京を発つ前にリサーチしていた。


ピラルクーのグリルを頼んだ(R$280)。

アマゾン最大の淡水魚だと給仕が説明した。

皿が来ると、炭火で焼かれた香りが先に届いた。

白い身を崩すと、川の記憶のような味がした。

海の魚より穏やかで、しかし深い。

バナナの葉で巻いたソースが甘く、酸っぱく、熱帯の湿気が溶け込んでいた。

「アマゾンから来た」という事実が、味に重さを足していた。


デザートはクプアスのムース(R$95)。

アマゾン原産の果実で、カカオの親戚だと言われた。

口に入れると、知っているような、知らないような味がした。

チョコレートに似ているが、もっと野性的だった。

文明が届く前の果物の味、と思った。

東京では食べられない味だった。


食べながら、昼間のことを考えた。

数字も、担当者の受け答えも、工場の様子も、問題はなかった。

いい会社かもしれない。

ただ、すんなりいく日ほど翌日に足元をすくわれることがある。

気を引き締めて帰ることにした。



食後、リベルダーデを歩いた。

理由は特になかった。

日本人街があると資料に書いてあった。

ホテルからタクシーで15分。

それだけだった。


赤い鳥居を模した街灯が通りに並んでいた。

日本食の看板、和菓子屋の窓、書店に並ぶ日本語の雑誌。

東京とは違う、懐かしさの形をしていた。

誰かが遠い場所に「日本」を作ろうとした痕跡。

でも本物の日本ではない。本物のブラジルでもない。

その中間にある何かが、通りに積もっていた。


メインストリートを外れ、路地に入った。

老人が一人、椅子に座っていた。

石造りの塀に背をもたせ、低い声で何かをつぶやいていた。

日本語だった。


「……あの年、田中は嘘をついた。高橋さんは何も悪いことをしていなかった……」


三好は足を止めた。

90を超えたあたりか、あるいはもっと上か。

手が震えていた。目が半分閉じていた。

三好がそこに立っているのに気づいていないようだった。


老人がふらりと立ち上がろうとした。

つかまるものを探すように手が宙を泳いだ。

三好は反射的に一歩近づいた。


「あの……」

と三好は日本語で声をかけた。

老人が目を開けた。

三好を見た。

それから長い時間をかけて、焦点が合った。


「日本人か」

「はい」


老人は何か言いかけて、止まった。

首を振った。

「もういい。忘れてくれ」


「その人、何を言っていましたか」

英語で声がかかった。

後ろからだった。


振り向くと、女性が立っていた。

黒い髪。切れ長の目。

顔立ちは東洋人だが、まとう空気が違った。

何かを測るような目ではなく——

何かを追っている目だった。


「あなた、日本語がわかるんですよね」

と英語で続けた。

「今、あの人が言ったこと——何を話していたか、教えてもらえますか」



【次話予告】

渡辺義雄が言ったことを、三好はルイーザに伝えた。

「田中は嘘をついた。高橋さんは何も悪いことをしていなかった」——

ルイーザの顔が変わった。「高橋は、私の祖父の名前です」。

田中自動車部品の創業者一族。三好が商談していた相手の名前が、少しずつ別の意味を持ち始めていた。




Fasano São Paulo(Rua Vittorio Fasano, 88, Jardins, São Paulo)

1902年創業のファザーノ・グループが運営するラグジュアリーホテル。ジャルジンス地区の静かな通りに位置し、1920年代ヨーロッパの邸宅を思わせるクラシックな内装が特徴。ロビーのモザイクタイル、廊下の重厚な家具、低く落ち着いた照明——格式と親密さが同居している。1泊R$2,000〜。

D.O.M.(Rua Barão de Capanema, 549, Jardins, São Paulo)

シェフ・アレックス・アタラが率いる、ブラジルを代表するレストラン。「世界のベストレストラン50」に繰り返し選出。アマゾンを中心とするブラジルの食材——ピラルクー(R$280〜)、クプアス(R$95〜)——をフレンチの技法で昇華する。食べると「ブラジルの奥行き」が体に入ってくる。要予約。

リベルダーデ(Liberdade)(São Paulo)

サンパウロの日本人街。20世紀初頭から続く日系移民コミュニティの中心地で、赤い鳥居型の街灯が通りに並ぶ。日本食レストラン、和菓子屋、書店が集まり、今も多くの日系人が暮らしている。本物の日本でも、本物のブラジルでもない——その中間にある街の空気が、独特だ。



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