今、話したい誰かがいる [第3話]

更新日:9月28日

【第3話】 消えた理由
翌朝、三好はニティヤに電話をかけた。
昨夜Eskobarを出てから、ほとんど眠れなかった。
「コロンボ担当の出張記録です。2004年の分に」と言って、そこで止まった。
言えなかったのは、備考欄の続きだ。
現地にて消息不明。行方不明として処理。
「会えますか」と三好は言った。
「はい」とニティヤは答えた。
正午過ぎ、Galle Face Hotelのテラスで落ち合った。
いつもカメラバッグを持ち歩くニティヤが、今日は手ぶらだった。
インド洋が真正面にある。
波が防波堤を越えるたびに、白い飛沫が風に乗った。
「昨夜の続きです」
と三好は言った。
「記録の話」
ニティヤは黙ってうなずいた。
表情を作っていなかった。
ただ、聞く準備ができている顔だった。
「吉田健一の備考欄に書いてあったのは——現地にて消息不明。2005年5月、行方不明として処理。それ以降、会社の記録は動いていない」
ニティヤはしばらく何も言わなかった。
目が海の方へ動いた。それだけだった。
「処理、というのは」
「以降、会社は探していない。少なくとも、記録にはそれしかない」
インド洋から風が来た。
ニティヤの黒髪が揺れた。
「消えたのか、消されたのか、どちらだと思いますか」
三好は答えられなかった。
「わからない」と言うしかなかった。
「でも、記録は残っていた」
「残っています」
少し間があった。
「もう一点」
と三好は続けた。
「出張記録に、宿泊ホテルのチェックアウト日がある。12月25日だ」
ニティヤの目が三好に戻った。
「津波は26日です」と三好は言った。
「津波じゃない」
とニティヤはゆっくり言った。
「じゃあ、なぜ行方不明に……」
ニティヤが「ありがとうございます」と言った。
声は静かだった。
「知りたくて、ずっと怖かった答えでした」
しばらくどちらも話さなかった。
波の音だけが来た。
「Wijesekara & Sonsに、当時を知る古い従業員がいるかもしれない。商談のルートで当たれる」
と三好は言った。
ニティヤはしばらく黙っていた。
「実は」と口を開いた。
「去年、Wijesekara関係の人たちが食事やお酒を飲んでいるところに遭遇したことがある。取材の途中だったから後から合流して混ぜてもらったんだけど。古い人で、父のことを知っていそうな年齢だった」
「連絡は取れますか」
「連絡先は持っていない。でも、最後に記念写真をみんなで一緒に撮った」
ニティヤがスマートフォンを取り出した。
小さな食堂で撮った一枚。
その中に逆光で顔がやや不明瞭で、
カメラをやや避けるように写っている六十代と思われる男がいた。
三好は画面を見た。
しばらく目が離せなかった。
「……どこかで見たような気がする」
「誰か、わかりますか」
「わからない。気のせいかもしれない」
三好はスマートフォンをニティヤに返した。
テラスに塩の風が吹き続けた。
夜、The Verandahで食事をした。
Galle Face Hotelのメインダイニングだ。
白いリネンのテーブルクロス、真鍮のカトラリー。
テラス席からは、夜になっても同じ海が見えた。
スリランカ産の海老を使ったカレーを頼んだ。
大ぶりの海老が、濃いスパイスのソースに沈んでいた。
一口食べると、コリアンダーとフェヌグリークの層が次々に開いた。
ニティヤはダールカレーを選んだ。
レンズ豆を煮込んだ素朴な一皿だったが、彼女の食べ方は丁寧だった。
しばらく、食事をしながら話さなかった。
皿の音と、遠い波の音だけがあった。
「仕事を続けますか」
と三好は聞いた。
「失踪者のプロジェクト」
「続けます」
とニティヤは言った。
「父のためじゃなくても。でも、父のためでも」
デザートは頼まなかった。
どちらとも言わなかった。
テーブルを立って、エレベーターに乗った。
どちらも行き先を口にしなかった。
ニティヤが先にフロアのボタンを押した。
三好が泊まっている階だった。
エレベーターの鏡に二人が映っていた。
一瞬、目が合った。
どちらも何も言わなかった。
廊下を歩いた。
部屋の前でニティヤが立ち止まった。
三好がドアを開けると、先に入ったのはニティヤだった。
部屋のカーテンは開けたままにした。
インド洋が窓いっぱいに広がっていた。
ニティヤはしばらく窓の前に立っていた。
カメラがなかった。
それでも、何かを見ていた。
「父が見ていた海と、同じ海ですね」
と彼女は言った。
「そうです」
と三好は答えた。
ニティヤが振り返った。
三好が近づくと、ニティヤは先に動いた。
三好のシャツの襟に指を絡めた。
引っ張るというより、引き寄せるような力だった。
「あなたは、私のことをどう思っていますか」
とニティヤは言った。
三好は答えなかった。
その代わりに、ニティヤの髪に手を入れた。
黒くて重い、腰まである髪だった。
ニティヤの呼吸が少し変わった。
照明は消さなかった。
カーテンも開けたままだった。
ニティヤの肌は、インド洋の光の中で夜の海に似た色をしていた。
三好の手が背中を辿った。
ニティヤが息をついた。
それは問いではなく、答えのような音だった。
服の生地が床に落ちる音がした。
どちらのものかは、しばらくしてから分からなくなった。
ニティヤが声を殺していた。
三好の背に回した腕に、じわりと力が入った。
波の音だけが続いていた。
夜が深くなっても、カーテンは開けたままだった。
【次話予告】 翌朝、目が覚めるとニティヤは窓の前にいた。カメラを持っていた。

Galle Face Green Galle Face Hotel前、コロンボ沿岸部
入場無料 ホテルの南に広がる全長500メートルほどの海沿いの公共遊歩道。凧を揚げる子供、夕涼みをする家族、散歩するカップル——コロンボの市民が何十年も使ってきた場所だ。
インド洋に沈む夕日を、ただ黙って見ていられる。

The Verandah(Galle Face Hotel) 2 Kollupitiya Road, Colombo 00300
USD35〜80 Galle Face Hotelのメインダイニング。白いリネンとインド洋を望む窓。
1864年から変わらない格式の中で、スリランカカレーを食べる時間は、なぜかゆっくり過ぎる。



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