サヨナラの意味 [第1話 / 全4話]
- GENPASS 編集 三好

- 6 日前
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更新日:2 日前

【第1話】 ヨッシー
ロンドンは、3月でもまだ冷える。
JLRのロンドン・オフィスで打ち合わせがあった。
ジャガー・ランドローバー。
電動化に向けてサプライチェーンを作り直そうとしている英国の老舗に、日本の部品メーカーとの橋渡しをする。
今回は5日間の出張だった。
水曜にコベントリーまで一度足を伸ばして、残りはロンドン市内で動く予定だった。
ホテルはClaridge'sにした。
メイフェア、ブルック・ストリート。
アールデコの内装と重い遮光カーテン。
ロンドンに来るときはここを使っていた。
月曜の夜、ソーホーに一人で出た。
Donzoko。
地下に降りる日本のウイスキーバーで、在ロンドンの日本人にも日本からの旅行者にも知られた店だ。
カウンターの端に座って、バランタイン17年を頼んだ。
静かに飲んで、翌日のことを整理して、早めに戻る。
そういう夜にするつもりだった。
少し先の席に、女が一人でいた。
日本人だろうと思った。確信ではない。
ただ全体の空気がそう見えた。
ストローでグラスをゆっくりかき混ぜる手つき。
伏せている目の角度。
こういう細かいことで、だいたい判断できる。
男がその女に話しかけていた。
イギリス人だった。
大柄で、立ったまま女に顔を向けていた。
女が静かに断った。男が引かなかった。
女がまた英語で言った。男がまた何か言った。
「あっち行けって言ってんだろ、おっさん!!」
地下のバーに、日本語が響いた。
男が肩をすくめて立ち去った。
店内に笑いが走った。
女がこちらを向いた。目が合った。
「……あら」と彼女が言った。
「あなた、日本人じゃない?」
当たり前のように、隣に座ってきた。
「日本人だよね。どこから来たの?」
「東京です」
「東京!私も東京だった!どこ?」
「品川です」
「品川か〜。私、目黒だったんだよね」と彼女が言った。
「何しにロンドン来たの?仕事?」
「出張です。5日間」
「短いじゃん。ねえ、結婚してる?」
「していません」
「彼女は?」
「今はいません」
「今は、ってことはいたんだ」彼女が笑った。
「どこ泊まってるの?」
「Claridgeです」
「え〜、リッチじゃん笑」と少し大げさに言った。
「そういえば、名前は?」
「三好です」
「三好さん」彼女がその名前を一度口の中で転がした。
「じゃあ、ヨッシーだね」
「三好ですけど」
「だって私が小学生のころに三好って子がいたけど、みんなにヨッシーって呼ばれていたよ」ケロッと言った。
「私はリカ。よろしく、ヨッシー」
リカ、と名乗った。
俺と同じバランタイン17年を頼んだ。
英語でバーテンダーに伝えて、発音が良かった。
ロンドンに3年半いると言った。
元々いた日系の会社がアシックスUKに吸収されて、
そのまま欧州営業マーケティングに残ったのだと言った。
「東京、懐かしいなー」
グラスを手にしながら少し遠くを見た。
でもすぐに笑顔に戻った。
「みんな元気してるかなー」
「帰ることはないんですか」
「たまにはね」
「でも最近は全然。ロンドンの方が、なんか落ち着くんだよね」
何かを押し込んだ気配があった。
でも一瞬だった。
次の瞬間にはもう別の方向を向いていた。
「ヨッシーはさー、一人でバー来るの好きなの?寂しくない?」
「考えがまとまるので」
「もったいない!考え事してる時間に楽しんだ方がいいじゃん」
「そうですか」
「そうだよ!」リカが笑いながら言った。
「じゃあ今夜は私が話し相手になってあげる笑」
こういう人間は、久しぶりだった。
読もうとする前に動いてくる。
たいていの人間は少し先が読める。
次に何を言うか。どう動くか。
それがこの女には通じなかった。
読もうとした瞬間には、もう次を打ってきた。
グラスが減った頃、「明日、暇?ロンドン案内してあげるよ」とリカが言った。
「仕事次第ですね」
「それ、行けるってことでしょ」リカが笑った。
気づいたら閉店の時間だった。
バースタッフが声をかけてきた。2時間以上が経っていた。
外に出た。3月のソーホーは風が冷たかった。
路地の先にパブの灯りが滲んでいた。
「じゃ、帰ろっか」とリカが言った。
「また明日」と俺が言うと、「もう今日だよ」と笑った。
「そっか」
「そう」。
それでも二人とも、動かなかった。
バイバイ、おやすみ、と言い合った。
また言い合った。
それでも足が動かなかった。
しばらくして、リカが「なんか、これじゃいつまでたっても帰れないね」と笑った。
「そんな夜も、あるよ」と俺は言った。
リカが少し首をかしげた。「ヨッシーがそういうこと言うと思わなかった」
「たまには言います」
「じゃあさ」とリカが言った。
「せーので後ろ向いて歩こ。それで終わり」
「わかった」
「いっせーのーせっ」
俺は振り返って歩き出した。
10歩か、15歩か。
途中で立ち止まって、振り返った。
リカがまだそこにいた。
こちらを見て、笑っていた。
「……なんだよー」
「なんでヨッシー振り返ったの?」
「そっちだって立ってたくせに」
「私はヨッシーが見たかったから!」
何も言えなかった。
「ずっちーなー」
小さく出た声を、リカが聞いた。
間があった。
俺はまた変える方向に歩き始めた。
「ヨッシー」
振り向いた。そして振り返って歩いた。
「ヨッシー」
また振り向いた。
「ヨッシー」
今度は俺が先に動いた。
その瞬間、リカが走ってきた。
俺の胸のあたりに頭を当てるように、止まった。
少し間があった。
「好き!」
それだけ言った。
「あっ」とリカが言った。
「言っちゃった。くやしいな」
俺が何か言う前に「おやすみ!」と言ってタクシーに走った。
乗り込んだ。
窓から一度だけ手を振った。
走り去った。
ソーホーの路地に、一人残った。
Claridgeに戻った。
シャワーを浴びた。
ベッドに入る前にスマホを見た。
LINEが来ていた。
「さっきも言ったけど、明日10時。Claridgeのロビー。遅刻しないでね、ヨッシー」
しばらく、画面を見ていた。
【第2話予告】
翌朝10時、Claridge'sのロビーにリカが待っていた。
ロンドン最古のレストランへ、Covent Gardenの路地へ、夜のConnaught Barへ。
「ヨッシーって、つかみどころないよね。でも、全部見えてる気がしてこわい」

Donzoko / 基本情報
ソーホーのキングリー・ストリートにある、日本のウイスキーを専門に扱うバー。
地下へ降りる階段が入口の目印。
在ロンドンの日本人から旅行者まで幅広い客層が集まる。
バランタイン17年をはじめ、山崎・響・白州などの品揃えが厚い。
静かで落ち着いており、一人飲みにも向いている。
住所:15 Kingly St, Soho, London W1B 5PS
営業:月〜土 17:00〜深夜(日曜休み)
予算:£15〜25 /杯



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