I see... [最終話]


【最終話】 I see...
夜明けまで、あと少しだった。
「あなたの会社の名前が書類に出てきたこと、知っていましたか」
Meiの声は静かだった。
三好は天井を見たまま答えた。
「どの書類ですか」
「貼り紙の彼女が持ってきたものの中に、あなたの会社への納入計画が含まれていました。入札前の段階で、受注先がすでに内定している——そういう書類でした」
部屋が静かだった。
「俺たちが、最初から選ばれていた」
「はい」
三好は目を閉じた。
Straits Precisionが工場ツアーを延期した理由が、ようやく整合した。
隠したいものがあったのではない——
契約はすでに決まっているという前提で動いていた。
だから見せる必要がなかった。
早急な回答を求めてきたのも、既定路線の確認に過ぎなかった。
三好は三日間、すでに決まっていることを決めるために、ここにいた。
「なぜ今言うんですか」
Meiは答えなかった。
しばらくして言った。
「路地であなたを見かけたのは、偶然ではありません」
三好は目を開けた。
Meiはまだ窓の外を見ていた。
「あの貼り紙を外から読んでいる人間を探していました。貼り紙の彼女のことを、外部の誰かに知ってほしかった。あなたが日本語で読んでいるのを見て——それで話しかけました」
三好は何も言わなかった。
「怒っていますか」
とMeiが聞いた。
「I see...」
と三好は言った。
英語が出たのは、日本語では足りなかったからだ。
「なるほど」では短すぎた。
「そういうことか」では正確ではなかった。
「I see...」——
わかった、でも続きがある。
そういう言葉だった。
沈黙があった。
「それが答えですか」
とMeiが言った。
「今のところは」
Meiが小さく笑った。
今度は疲れが滲んでいなかった。
夜が明けた。
Meiは静かに起き上がった。服を着た。
三好は目を開けていたが、何も言わなかった。
ドアが開く前に、彼女はテーブルの上に紙を一枚置いた。
折りたたまれていた。
ドアが閉まった。
三好はしばらくそのままでいた。
ペナン海峡が、窓の外で朝の色に変わっていった。
起き上がって、紙を開いた。
書かれていたのは、ペナン労働局の連絡先と、
Ahmad & Associatesの電話番号。
それだけだった。
ホテルの1階に降りたが、朝食は食べなかった。
白いアーチの廊下を通り、そのまま外に出た。
朝の空気は湿気を帯びていた。
アーチの向こうにペナン海峡が平たく広がり、
対岸のバタワースが朝もやの中に低く浮いていた。
部屋に戻り、PCを開いた。
報告書のファイルを立ち上げた。
「推薦」か「保留」か。
三日前からずっと空白だった欄を、三好はしばらく見た。
「推薦」と入力した。
理由欄は空白のままにした。
上司に電話した。
「推薦で出します」
「そうか。よかった。先方も喜ぶ」
電話が切れた。
三好はしばらく画面を見ていた。
上司は驚かなかった。
問い返しもしなかった。
先方が喜ぶという一言は——
最初から、この結論が誰かの手の中にあったことを意味していた。
スクリーンの光が白かった。
推薦の理由欄は空白のままだった。
書けることが、何もなかった。
PCを閉じ、紙をスーツケースの内ポケットに入れた。
スーツケースを持ち、鍵をフロントに返した。
フロントの女性が「またいつでもどうぞ」と言った。
三好は軽く頷いた。
また来るかどうかは、わからなかった。
ロビーを出た。
白いアーチの廊下を、今度は荷物を引きながら歩いた。
タクシーはジョージタウンの古い街区を抜け、橋を渡り、バヤンレパスの工業地帯に入った。
来たときと同じ道だった。
工場の屋根が午後の光を受けていた。
インテルの工場、ボッシュの工場。
その中のどこかにStraits Precisionの工場がある。
来たときと同じ景色だった。
着いたときと何かが変わったのかどうか、三好には判断がつかなかった。
搭乗まで時間があった。
空港のカフェでコーヒーを頼んだ(RM8)。
砂糖が多かった。
ペナンのコーヒーはいつも甘い。
スマートフォンを確認した。
Meiからの連絡はなかった。
何度か確認した。
なかった。
機内に入り、窓側の席に座った。
ベルトを締めた。
離陸すると、バヤンレパスの工業地帯が眼下に広がった。
到着時に見たのと同じ景色だった。
あのとき、この屋根のどこかに明日会う会社があると思っていた。
今、この屋根の下に何があるかを、少しだけ知っている。
少しだけ。
Meiがどうするかは、わからなかった。
「I see...」とMeiに言ったのは三好だった。
その言葉の意味が、機内でもまだ定まっていなかった——
Meiが何者だったのかも、彼女の動機が純粋だったかどうかも、正しい選択をしたのかどうかも。
証拠書類がどうなるかも、推薦が何かを変えるかどうかも。
ペナン海峡が雲の向こうに消えるまで、三好はその答えを持っていなかった。
機体が雲に入る直前、三好はスマートフォンをポケットにしまった。
もう確認しても意味がなかった。
目を閉じた。
雲の中に入ると、ペナンは消えた。
貼り紙の彼女は、まだ見つかっていない。
I see...
<完>

Penang International Airport(Bayan Lepas, Penang)
バヤンレパス工業地帯に隣接するペナン国際空港。ジョージタウンの中心部から車で約30分。滑走路を挟むようにインテルやボッシュの工場が立ち並び、離陸直後の窓から工業地帯が一望できる。到着時に見た屋根と、帰りに見る屋根は同じだ。



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