ジャカルタの夜に迷い込んだ俺は、姫に翻弄されて帰ってきた。
- GENPASS 匿名協力記者

- 6月23日
- 読了時間: 5分

出張3度目にして、俺はようやくジャカルタの「夜の本気」を知った。
場所はメンテン地区。店の名前は「Lara Djonggrang」。
名前だけ聞いても何も分からない。
ただ、前夜のホテルのバーで一緒になった50代の日本人ビジネスマンが言っていたんだよ。
「Lara Djonggrangだけは行っとけ」
理由は教えてくれなかった。
「料理がうまいんですか?」って聞いたら、男は笑って首を振った。
「それだけじゃない」
それ以上は何も言わず、グラスを空けた。
……この言い方、好きじゃないですよ、正直。
「それだけじゃない」って何!?
「それだけじゃない」ってどういう意味!?
教えてくれないなら言うな。
言わないなら意味深にするな。
でも結局、俺、タクシー呼んでいた。速攻で。
場所
そして、タクシーを降りると、空気が変わった。
重厚な石造りの門。燭台の光。フランジパニの甘い匂い。
オランダ統治時代の面影が残る建物。
「場所を間違えたか」と思って地図を確認したら合っていた。
9世紀のジャワ王朝に迷い込んだみたいな浮遊感。
回廊を歩くたびに時代と国籍が変わる。
中国の石像。魚の池。
ガムランともジャズとも判断しがたい低音。
バーを目指して歩いたが、二度も道を間違えた。
普通に迷子になりました。
出張3度目のジャカルタで。
バーの場所が分からなくて。
二度迷った末に、ようやくLa Bihzad Barにたどり着く。

席に着いてグラスを傾けていると、隣に女性が座った。
バティックのドレス。静かで無駄のない所作。
俺が少し身構えていると、対等な口調で話しかけてきた。
「ここ、初めてですか?」
媚びてない。観光客向けのトーンでもない。
ただ完全に、この空間の住人の顔をしている。
インドネシア生まれ、シンガポール在住。
仕事でジャカルタに戻るたびここに来るという。
会話が続く。
街の話。仕事の話。旅先で失敗した話。
彼女はよく笑う。大声では笑わない。グラスの向こうで肩を揺らすように笑う。
この雰囲気と流れ。
ヤバいんじゃない!?これ!
肩を揺らすように笑う女の人って、なんかヤバくないか。
静かに笑うんだよ。グラス持ちながら。燭台の光の中で。
こっちはもう、話の内容を半分くらいしか聞いてない。
なんか雰囲気あるのか、
面白いのか、
わからなくなってきた。
そうこうしているうちに、二杯目のグラスが空いていた。
バーカウンターの端。燭台の明かりが揺れる。
いつの間にか距離が縮まっていて、
彼女の肩が俺の腕に触れていた。
「……もう遅くなりましたね」
でも立ち上がらなかった。
「少しだけ、もう一杯」
そう言って彼女が俺のグラスに手を伸ばした瞬間、指と指が触れた。
彼女は引かなかった。
来たぁぁぁ!!!
ただ、すでに俺はその時かなり酔っぱらっていた。
バーを出た。
どちらが誘ったのか覚えていない。たぶん両方だった。
薄暗い回廊。石畳。フランジパニの匂い。
個室に通されたような気がする。
正直それ以降の記憶はかなりぼやけている。
燭台の火が天井に揺れていた。
バティックのドレスが畳まれていた。
お互い気持ちよくなったことは体が覚えている。
「この店の名前の意味、知っていますか?」
唐突に彼女がそう言ったのは、その後だった。
「ラロ・ジョングランというのは、ジャワの伝説に出てくる姫の名前なんです。求婚してきた王子に、一夜で千の神殿を建てることを条件にして。王子が完成させそうになったら、夜明けを偽って諦めさせたんです」
少し間があった。
「王子様に困った姫の話ですよ」
「それは王子がかわいそうですね」
「でも、王子の方も勝手に期待したのかもしれません」
……ん?
その時だ。
彼女の左手が目に入った。
薬指に、細いリングが光っていた。
え!? おいっ!!
「婚約者も古いジャワの建築が好きで。来週一緒にここに来るんです」
ニコニコしながら言ってくるんだよ。
笑顔で…。
何の曇りもない顔で…。
「そ、そうなんですね」
俺も頑張って笑いながら言った。
「す、素敵ですね…」
なんなら褒めたよ。婚約者のことを。
俺はその夜で一番おだやかな声をしていたと思う。
内側では完全に燃え盛っていたけど…。
バティックのドレスが畳まれていた。
あの部屋で何が起きたのか、婚約者は知らない。
来週この店に来る婚約者は知らない。
ま、俺が知らせる立場でもない。
何も知らなくていい。
全員知らなくていい。
千の神殿、建てましたよ俺。
一夜で。
しかも自分から。
帰りのタクシーの中で、モスクの灯りを眺めていた。
ジャカルタの夜は、最初からそういう夜だった。
迷わせて、期待させて、全部持っていって、
最後に名前の意味を教えてくれる。
ラロ・ジョングランというのは本当によくできた名前だと思う。
姫は一夜で千の神殿を建てさせた。
俺は建てたし、完成させた。
そして夜が明けた。
ただ一つだけ伝説と違うのは、
王子は諦めて帰ったけど、俺はまたこの店に来ると思う。
それがジャカルタの夜の怖いところだ。

基本情報 / Lara Djonggrang & La Bihzad Bar
住所:Jl. Teuku Cik Ditiro No.4, Menteng, Jakarta Pusat(上記マップ参照)
営業:ディナーのみ/要予約
注意点:店の名前の意味は、行く前に調べておくこと。指輪も先に確認すること。



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