Out of the blue [最終話]
- GENPASS 編集 三好

- 7月6日
- 読了時間: 4分

【最終話】 Out of the blue
東京の秋は、パリより一足遅い。
10月末のジャパンモビリティショーは、東京ビッグサイトの全館を使う大規模な展示会だった。
旧東京モーターショーの名称を改め、EVとモビリティの未来を掲げるこのイベントに、今年はStellantisが単独ブースを出展した。
三好の会社はそのサプライヤー側として、ブース内の一角に小さなコーナーを設けていた。
「三好さん、明日の午後のプレゼン、追加で5分もらえることになりました」
山田が書類を持ってきた。
「わかった」と俺は言った。
「資料の修正を頼む」
山田が去って、ブースに一人になった瞬間、スマホが振動した。
DMだった。Instagramのアカウント。見覚えがあった。
『三好、東京にいる?私、今週日本にいる。
ジャパンモビリティショーのBMWブースでモデルの仕事。会えたら嬉しいな』
エロイーズ・マルタン。
パリから戻って、5ヶ月が経っていた。
翌日の午前、BMWのブースの前を通ったとき、遠くから目が合った。
エロイーズはEVコンセプトカーの横に立っていた。
パリモーターショーのときと同じシチュエーションで、立場だけが変わっていた。
あのときは俺が観客で、彼女がステージにいた。
今日は俺が出展側で、彼女がやはりステージにいた。
立場は変わっていない。
変わったのは、顔を知っていることだけだ。
エロイーズが小さく手を振った。
午後のプレゼンが終わってから、ブース袖で落ち合うことにした。
「東京、どう?」と俺は聞いた。
「思ったより狭い」と彼女は言った。
「でも、好き」
「消えていくものは撮れましたか」
エロイーズが笑った。「少し。下町の方に行った。フィルムで、12枚だけ」
パリのアパルトマンで棚に並んでいたカメラを思い出した。
この女は本当にフィルムで撮るのだ、と改めて思った。
Diorのランウェイで見た顔とは別の顔が、ここにもあった。
プロフェッショナルな話を終えて、エロイーズが言った。
「今夜、食事しない?」
答えようとしたとき、BMWのマネージャーがエロイーズを手招きした。
エロイーズが「5分待って」と俺に言い残して、そちらへ向かった。
5分が、30分になった。
担当者に捕まって、なかなか抜けられないらしかった。
三好はブースの外の椅子に座って待った。
普段、30分待てる人間ではない。
女のために30分待つのは、さらにない。
展示会場の喧騒が続いていた。
海外のプレス、バイヤー、メーカーの担当者が行き交う。
三好は手帳を開いて次の商談のメモを確認した。
でも頭には入ってこなかった。
でも待った。
それに気づいたとき、少し冷めた気がした。
俺は追いかけさせる側の人間だ。
パリではそれを忘れていた。
一時的に、どこかに置いてきた。
でも今、戻ってきた。
パリでは俺がアウェイで、エロイーズがホームだった。
東京では逆だ。
俺がホームにいると、女への見え方が変わる。
パリで特別に見えたものが、東京では違う色に見える。
それは彼女のせいではない。
場所のせいだ。
椅子から立ち上がった。
コートを持って、会場を出た。
出口に向かう途中、BMWのブースの前を通った。
エロイーズはまだ担当者と話していた。
こちらには気づかなかった。それでよかった。
その夜は一人で会社で取ってもらっていたホテルに戻り、シャワーを浴びて、ルームサービスを頼んだ。
パリとは別の夜だった。
翌日の昼、山田と報告書の確認をしていたとき、スマホが振動した。
エロイーズからのメッセージだった。
『昨日は抜け出せなくてごめん。今夜は?』
スマホを持ったまま、少し考えた。
ホテルの窓から東京の朝が見えた。
タクシーが行き来して、スーツ姿の男たちが改札に吸い込まれていく。
エロイーズがいる場所ではない、いつもの東京だ。
返信を打った。
『仕事がある』
それが嘘かどうかは、もう三好には関係なかった。
エロイーズからの返信は来なかった。
しばらくスマホを見ていたが、通知は鳴らなかった。
それでよかった。
スマホをポケットにしまって、山田の声が戻ってきた。
報告書の続きだ。
その夜、ホテルのバーで一人でバーボンを飲んだ。
窓の外は東京だった。
六本木の夜景。
ネオンと、人の動きと、どこかで鳴っているクラクション。
パリとは似ていて、全く違う夜だ。
エロイーズと過ごしたパリの10月を、断片的に思い出した。
マレ地区の路地。
Little Red Doorの赤いドア。
5区のアパルトマンに並んだフィルムカメラ。
セーヌ川の夜景。
それはそれで、本物だった。
東京に持ち込んだら、本物じゃなくなった。
それだけのことだ。
グラスを置いて、席を立った。
明日の朝、山田から電話が来る前に、次の商談の準備をしなければならない。
出会いも、終わりも、Out of the blue だった。
<完>

東京ビッグサイト(東京・江東区有明)
ジャパンモビリティショー(旧東京モーターショー)のメイン会場。
国際展示場正面には巨大な逆三角形の建物が象徴的に並ぶ。
出展側として参加すると、観客とは別の景色が見える。



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