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AURORA BANGKOK

  • 執筆者の写真: GENPASS 編集 八田
    GENPASS 編集 八田
  • 2 日前
  • 読了時間: 5分

更新日:24 時間前




バンコクのプロンポンを歩いているとき、人間はなぜか少しだけ上品な顔をする。

駅前には高そうなショッピングモール、こぎれいなカフェ、日本語の看板。

まるで「私は旅慣れた大人です」みたいな顔で歩ける街だ。


だが、それは全部ウソである。

俺の中身は、空港で没収されなかった下心をパスポートケースに入れて持ち歩いているだけの男。


目的地はAURORA BANGKOK。

名前だけ聞くと北欧の夜空に出る神秘の光みたいだが、

実際に俺が向かっているのはスクンビット24の大人のマッサージ店である。


オーロラを見に来たんじゃない。

オーロラっぽい名前に釣られて、煩悩が徒歩で入店しに来たのだ。



場所



店に入り、コースはすぐ決まった。

60分2,400バーツ。

そして女の子を見て、俺はすぐに思った。

女の子が多い。選ぶには多すぎた。

ショーアップや写真を見ても決まらない。

かわいい子がいる。

きれいな子もいる。

大人っぽい子もいる。

選択肢が増えるほど、男の脳は賢くなるどころか、逆に原始人へ戻っていく。


そこで俺は、珍しくまともな判断をした。


「日本語が少し話せる子がいい」


そうだ。結局、人間に大事なのはコミュニケーションだ。

顔でもスタイルでもない。

心と心のふれあいである。

この時だけ、俺はユネスコの職員みたいな顔をしていた。

下心を“文化交流”という名前の段ボールに詰め替えて、受付に提出した。


やってきた女の子は、かわいらしい雰囲気の子だった。

にこっと笑って、少し照れながら言う。


「こんにちは。日本、すき」


終わった…。

かわいい…。

この一言で俺の中の外務省が総立ちになった。

ありがとう親日。ありがとう国際交流。ありがとう日本語教育。

俺はいま、バンコクの個室で世界平和の最前線にいる。


マッサージが始まる。

「日本語、どこで覚えたの?」

俺が聞くと、彼女は嬉しそうに言った。


「日本の歌、すき。いっぱい聞く」


なるほど。

教科書ではなく、J-POP育ちね、うんうん。


ただ、この時点で少しだけ警戒するべきだった。

なぜならJ-POPの日本語は、

日常会話にそのまま輸出すると、だいたい事故るからである。


最初はよかった。

「どんな歌が好きなの?」

「恋の歌。会いたい。でも会えない。

 でも会わないのも、たぶん愛」


ん?

待ってくれ。


会いたいのか。会えないのか。会わないのか。

いま恋愛感情がスクンビットの交差点で玉突き事故を起こしていないか。


俺は笑顔でうなずいた。

分かっている男の顔をした。

実際は何も分かっていない。

俺の脳内では、国語の先生が赤ペンを持ったまま膝から崩れ落ちていた。


さらに彼女は続ける。


「好きは、苦しい。

 でも苦しいから、好きが光る」


もう始まっている。

J-POP構文が始まっている。

好きなら好きでいい。

苦しいなら病院に行ってくれ。

なぜそこで光る。なぜ感情を発光させる。

ここはAURORAだからって、

何でもかんでも光らせていいわけではない。


俺はもう一度聞いた。

「日本語、難しくない?」

彼女は少し考えて、真剣な顔で言った。


「難しい。

 でも、言葉なくても心ある。

 心なくても、たぶん夜が知ってる」



し、知るな!!

夜、知るな!!


夜にそこまで業務を背負わせるな。

守秘義務が重すぎる。

俺たちの会話を夜が知っているなら、

俺は今すぐスクンビットの空に向かって謝罪文を出したい。


このあたりで俺は気づいた。

日本語が通じると楽しい、というのは

半分正解で、半分地獄である。

タイ語が分からないなら、諦められる。

英語が聞き取れないなら、

自分の勉強不足で済む。


でも今回は違う。

全部、日本語なのだ。

なのに分からない。

母国語のホームスタジアムで、

知らない競技をやらされている。


彼女は悪くない。

むしろ一生懸命で、かわいい。

日本の歌が好きで、

日本語を覚えようとしてくれている。

こんなにありがたいことはない。


問題は、その教材が

「君の中の僕」とか

「戻らない季節」とか

「涙を夜空に預ける」とか…

意味が分かるようで分からない

情緒の闇鍋だったことだ。


会話の終盤、彼女が急に得意げな顔をした。

そして、俺にこう言った。


「いまの気持ち、恋なんてしないって言わない、って言わない、みたいな?」


俺は黙ってうなずいた。


たぶんこの子、意味は分かっていない。

でも安心してほしい。

俺も分かっていない。


何なんだこれは!!


俺は日本語が話せる子を選んだ。

会話を楽しむために選んだ。

異国の夜で、少しでも言葉が通じれば安心できると思った。

なのに最後に起きたのは、会話の成立ではない。


母国語の崩壊である。


日本人なのに、日本語能力を失った。

しかも場所はバンコク。

俺はスクンビット24まで来て、

個室で国語の補習を受けている。


先生はかわいい。

スペシャルマッサージも

激しく気持ちよかった。


ただ、言葉の教材はJ-POP。

生徒である俺だけが、意味を取り逃して脂汗をかいていた。



AURORA BANGKOK。

そこは、日本語が少し話せるかわいい子に

癒やされる場所……のはずだった。


だが実際は違う。

J-POPを経由した日本語が

七色のオーロラみたいに俺の脳内で乱反射し

最終的に日本人である俺の日本語能力だけを焼き切っていった。


作詞家、頼む!

今のJ-POPの歌詞

もう少しだけ意味を

分かりやすくしてくれ!!


好きなら好き。

会いたいなら会いたい。

別れたなら別れた。

そこに夜空、涙、季節、

君の中の僕、僕の中の君を全部混ぜるな。


海外で一番困るのは、言葉が通じないことじゃない。

通じているはずの日本語が、いちばん意味分からないことだ。


日本の歌を好きになってくれた女の子が、

一生懸命それを覚えた結果、

バンコクの個室で

日本人が日本語を見失っている。


これもう文化輸出じゃない。

情緒の密輸だ。





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