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空港まで、三十分 [第2話]

  • 執筆者の写真: GENPASS 編集 三好
    GENPASS 編集 三好
  • 4 日前
  • 読了時間: 4分

更新日:2 日前




【第2話】 彼女のドバイを、もらった朝


Comptoir 102はジュメイラのビーチ通り沿いにある。

2012年から続くフレンチオーガニックカフェで、ドバイに長く根付いている部類に入る。

木製の家具と、古びた棚と、オーガニック食材が並んだ内装。

外に面したテラスから、朝の光が入る。

レセプションでもZumaでもない、ドバイの別の顔がここにある。

「ここに来ると、ドバイにいることを少し忘れられるんです」とリカは言った。


アサイーボウルを頼んだ。AED68。

フルーツとグラノーラが重なり、底のアサイーはなめらかで、甘みより先に酸みが来る。

グラノーラが崩れていく感触と、コーヒーの苦みが交互になる。

観光客が来る店ではなく、ドバイで暮らしている人間が週に一度寄る店だ。

古いレコードが壁に飾られていて、窓から朝の光が入ってくる。

砂漠の国にいながら、どこかフランスの田舎のカフェのような空気がある。

ジュメイラのビーチを知っている人間が来る場所だ、ということが、入った瞬間に分かる。

リカが「おはようございます」と言うと、店のスタッフが名前で返した。

2年間の積み重ねは、こういうところに出る。


「ドバイの生活、好きですか」と俺は聞いた。

「好き嫌いで考えたことない。」

「仕事以外の時間は。」

「こういう朝が多いです。一人で来て、読書して、帰る。」

間があった。

「寂しくないですか。」

「慣れました。」


慣れた、という答えは正直だ。

好き、という答えより正直だ。

ドバイに2年いる29歳の日本人女性が、「慣れました」と言うとき、

その言葉の重さは俺には測れない。

ただ、それを笑顔で言えるようになるまでに、時間がかかったのだろうということは分かる。

コーヒーを一口飲んだ。リカも飲んだ。

カップを置いたとき、彼女の指が少しテーブルの上で止まった。

何かを言おうとして、やめたのかもしれない。

俺は待たなかった。

待つことが正しいのか分からなかったから。


テラスから、ジュメイラの通りが見えた。

朝の光の中を、ジョギングをする人間が通り過ぎていった。

犬を連れた女性が、ゆっくり歩いていた。東京と似ているようで、全然違う朝の景色だった。

同じ時刻、日本では昼を過ぎていることを思い出した。

東京の会議室では誰かが話をしているかもしれない。

俺はドバイのフレンチカフェで、日本人の女とコーヒーを飲んでいた。

こういうことが起きるから、出張は悪くない。


午後は一緒にドバイ旧市街を歩いた。

ドバイ・クリークを渡る水上タクシー(アブラ)に乗って、スパイス・スークを抜けた。

香辛料の匂いが路地に漂っている。

観光客と地元の商人と、様々な国籍の人間が混ざっていた。

DIFCのガラス張りの街とは全く別の顔だ。


「ここが好きなんです」とリカは言った。

「ドバイが砂漠の貿易都市だったときの残り香がある。」

「2年でそこまで読み込んだんですか。」

「最初の1年は仕事しかしてなかったけど。」

ゴールド・スークの路地で立ち止まった。

金色の装飾品が所狭しと並んでいる。

「日本人の女の子がこういう場所に来るとは思わなかった」

「出張の男性は来ないんですか」

「俺は来なかった」

「もったいない」


彼女がガイドのように先を歩いて、俺がそれについていく形だった。

いつもと役割が逆だった。悪くなかった。

自分の街を案内する女というのは、どこか子供みたいな顔をする。

リカも、Comptoir 102や旧市街の話をするとき、仕事の場とは別の顔が出た。

その顔の方が、好きだと思った。


スパイス・スークの路地で、ひとりの老人が香辛料を計り売りしていた。

クミンとターメリックと、何か知らない黄色い粉が、ガラス瓶に詰まっていた。

匂いが複数重なって、どれがどれか判別できなかった。

リカは慣れた様子でその前を通り過ぎた。

2年間で、この匂いも日常になったのだろう。

俺にとっては初めての感覚だが、彼女には帰り道の匂いだ。

その差が、なんとなく面白かった。


夜になって、「Ce La Viに行きましょうか」とリカが言った。

「知ってますか。」

「名前だけ。」

「じゃあ、今度は俺が案内します。」

彼女が少し笑った。

初日の夕方より、笑い方が柔らかくなっていた。





Comptoir 102(コントワール 102)/基本情報

住所: 102 Beach Road, Jumeirah 1, Dubai

おすすめ: アサイーボウル(AED68)、フラットホワイト、オーガニックブランチプレート

特徴: 2012年創業のフレンチオーガニックカフェ。

ジュメイラのビーチ通り沿いに位置し、ドバイ在住の外国人が日常的に通う一軒。

ヴィンテージ調のインテリアが落ち着いた雰囲気を作る。



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