空港まで、三十分 [最終話]
- GENPASS 編集 三好

- 2 日前
- 読了時間: 5分

【第4話】 空港まで、三十分
朝、目が覚めたとき、リカはすでに起きていた。
キッチンでコーヒーを淹れていた。
「おはよう」と言って、俺にもカップを渡した。
バルコニーに出て、二人で飲んだ。
ドバイの朝は静かだ。
砂漠の空気が冷たく、街がまだ動き出していない。
高層ビルの窓に朝日が当たって、街が光っている。
夜とは全く違う顔だ。
こういう朝を、リカは2年間ここで迎えてきた。毎日一人で。
「昨日、楽しかった」とリカが言った。
「俺も。」
「・・・珍しいんです、こういう夜。」
何に対して珍しいのかは、聞かなかった。聞く必要がなかった。
「フライト、何時?」と彼女が聞いた。
「午前11時。」
「送ります」と彼女は言った。
「いい。タクシーで行く。」
「送ります」ともう一度言った。
断る言葉を探したが、出てこなかった。
リカが送ると言うとき、それは好意でも義務でもなく、自分でそう決めたということだ。
2年間、自分のことを自分で決めてきた女の言い方だ。
俺にはそれを断る理由がなかった。
リカの車は白いSUVだった。
ドバイでは日本より運転しやすいと彼女は言った。
道が広くて、標識が分かりやすい。
そう言って、シートベルトを確認してから発車した。
一連の動きが迷いなかった。
2年間でドバイの道を覚えた女が、助手席の男を空港へ向かって走らせていた。
ハンドルを握る手が細かった。
昨夜触れた手と同じ手だ、と思った。それだけのことだ。
走り始めてすぐ、二人とも黙った。
ラジオをつけなかった。
会話が途切れたわけでもなく、はじめから話す気配がなかった。
沈黙は重くなかった。
重くなかったことが、逆に重かった。
こういう沈黙は、言葉がいらない間柄にしか成立しない。
2日間でそこまで来た、ということでもある。
そこまで来てしまった、ということでもある。
高速に乗って、砂漠の中を走った。
両側に何もない道だ。
ドバイはこういう場所だ。
超高層ビルの30分隣に、砂しかない景色がある。
リカはまっすぐ前を見ていた。
横顔が、レセプションの夜とは違う顔をしていた。
仕事の顔でも、夜の顔でもない、第三の顔だった。
ふとした拍子に、リカが左のウインカーを出した。
車線変更のためだ。
特に意味のない動作だが、俺はそれを見ていた。
助手席から見る女の運転というのは、その人間の別の側面を見せる。
慌てない。余裕がある。
ここで2年間、この道を走ってきたのだ、ということが動作に出ていた。
俺がドバイで見たどんな景色より、その30分が長く感じた。
ターミナル前で車を停めた。
「じゃあ」と俺は言った。
「気をつけて」とリカは言った。
それだけだった。ハグもなかった。
握手もなかった。
でも、ドアを閉めた後、彼女はすぐに発車しなかった。
俺が荷物を持って歩き出すのを、確認してから動くつもりなのだと思った。
入り口のガラスドアが開いた。
冷房が顔に当たった。
振り返らなかった。
振り返ってはいけない気がした。
でも、振り返りたかった。
入り口を抜けて、チェックインカウンターの前を通り過ぎた。
出発フロアへ降りるエスカレーターに乗った。
降りながら、なんとなく振り返った。
ガラス越しに、白いSUVがまだ停まっていた。
リカが窓からこちらを見ていた。
目が合った。
どちらも何もしなかった。
笑わなかった。
手を振らなかった。
ただ、合った目が少しの間、そのままだった。
エスカレーターが動いていた。
降り切った。彼女が見えなくなった。
柱の陰に入って、少しだけ立ち止まった。
深呼吸をした。
空港の冷たい空気を吸った。
チェックインの列が遠くに見えた。
出発ボードに、東京行きの便名が出ていた。定刻。
そこだけが、いつも通りの現実だった。
空港まで、三十分。
その間に何を話せばよかったのか、今でも分からない。
話さなかったことが正しかったのかも、分からない。
ただ、あの沈黙の中で隣にいた女のことは、しばらく忘れられないと思う。
砂漠の国で2年間、一人で暮らしていた女のことが。
「珍しいんです、こういう夜」と言った声のことが。
ドバイには、もう一度来るかもしれない。
仕事がそう向いている。
来たとして、リカに連絡するかどうかは、そのときになって考えようと思う。
今は考えない。
考えると、何かを決めなければいけない気がするから。
決めなくていいことを決めるのは、俺の趣味じゃない。
出国審査を抜けて、搭乗ゲートに向かいながら、リカのことは考えないようにした。
考えないようにしていた、ということは、考えていたということだ。
ドバイの便はほぼ定刻で飛んだ。
眼下に、砂と海と高層ビルが混ざった景色が広がった。
あの街のどこかに、リカのアパートがある。
35階の窓から今日も、街を見ている。
そう思ったら、窓の外から目を離せなくなった。
砂漠の街は、上から見ると、本当に何もない場所に建っていた。
隣の席の男が資料を広げていた。
俺もパソコンを開いた。
東京に帰ったらすぐに報告書を書かなければいけない。
案件の進捗と、次のステップ。
仕事はまだ続く。
それでいい。
続くから、またここに来る理由ができる。
<完>

Armani Hotel Dubai(アルマーニ・ホテル・ドバイ)/基本情報
住所: Burj Khalifa, Downtown Dubai
特徴: 世界一の高さを誇るブルジュ・ハリファの内部に位置するブティックホテル。
ジョルジオ・アルマーニがデザインした全客室は、無駄を削ぎ落とした洗練されたインテリア。
DIFCへのアクセスも良く、ビジネス出張にも対応する。



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