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まとめた髪を、ほどいた夜だった [第3話]

  • 執筆者の写真: GENPASS 編集 三好
    GENPASS 編集 三好
  • 19 時間前
  • 読了時間: 7分


【第3話】 まとめた髪を、ほどいた夜だった


バー・トリゴナはフォーシーズンズ・クアラルンプールのロビー階にある。

名前はトリゴナ蜂に由来する。

マレーシア固有の針のない小さな蜂で、その蜂蜜を使ったカクテルで知られている店だ。

照明を低く落として、ローカルの木材と陶器を組み合わせた内装。

観光客の喧騒がない。

座席数が少なく、会話のための場所として機能している。


ミオは入り口で少し足を止めた。

「ここ、泊まってるんですか。このホテルに」

「今回もそうです」

「……そういうことですか」

「何かありましたか」

「何もないですけど」


彼女は少し目を細めた。

疑っているわけじゃない。

状況を確認している顔だった。

俺はメニューを開いて、ハニーコレクションのカクテルを眺めた。

席に着いて、最初の一杯を頼んだ。

ミオはビーポーレンを使ったジンベースのカクテルを選んだ。

俺はラム系にした。


バーの照明が彼女の頬のラインに落ちている。

アップにまとめた黒髪から、細い後れ毛が一本、首筋のあたりに垂れていた。

気になったが、何も言わなかった。


「旅行の仕事でも、自分では旅行するんですか」と俺は聞いた。

「します。出張も多いし、プライベートでも」

「一人で?」

「最近は一人が多いです」とミオは言った。

「寂しくないですか」

「……なんでそれを聞くんですか」

「質問ですよ」

「寂しくない、と思ってます」


俺は少し黙った。

「思ってます、ということは、確信がない」

「揚げ足を取るのが好きですね」

「分析が好きなだけです」

「同じことです」

ミオが今度は先に言った。朝からの俺の言い方を、そのまま返してきた。俺は笑った。

「ひとつ聞いてもいいですか」

「どうぞ」

「KLに居続けているのは、何かから逃げてるからじゃないですか」

ミオの手が止まった。グラスを持ったまま、一瞬止まった。

「……直接的ですね」とミオは言った。

「気分を悪くしたなら謝ります」

「悪くないです。でも答えたくない」

「わかりました」

「……でも」


彼女が続けた。

「半分は、そうかもしれない。でもそれって悪いことじゃないと思ってる。逃げた先で、ちゃんとやってるんなら」

「そう思います」

「あなたは逃げないんですか」とミオが聞いた。

「逃げます。ただ出張という形で逃げてる」

「……同じですね」

ミオが笑った。

さっきまでとは少し違う笑い方だった。

防衛が一枚、薄くなったみたいな笑顔。


グラスが空になった。

「もう一杯、上で飲みますか」

俺が言った。

ミオは少し間を置いた。今夜2度目の間だった。

「……上って、部屋ですか」

「部屋にバーカウンターがある。静かでいい」

「……」

「嫌なら、もう一杯ここで飲んで終わりにします」

彼女はまた少し考えた。

そして、テーブルのクラッチバッグを手に取った。

答えの代わりだった。


エレベーターの中は静かだった。

ふたりとも何も言わなかった。

ドアが閉まって、数字が上がっていく間、ミオは真っすぐ前を向いていた。

その横顔を見た。

アップにまとめた髪の輪郭が、照明の中でくっきりしている。

細い首が、少し緊張しているように見えた。


部屋に入った。

俺は照明を半分だけ落とした。

バーカウンターからウイスキーを取り出した。

ミオは窓の前に立って、夜のKLを見ていた。


「綺麗ですね」とミオが言った。

「毎回そう思います」

「毎回ここに泊まってるんですか」

「KLのときは」と俺は返した。

ウイスキーを持って窓の前に立った。

ミオの隣に並んで、夜景を見た。

ツインタワーの光が遠くに静止している。

ふたりとも何も言わなかった。

距離が近かった。


「あの」

ミオが言った。

俺はグラスを置いた。

振り向いたとき、ミオは自分の髪に手を伸ばしていた。

アップにまとめていたピンを外した。黒髪が一気に肩に落ちた。


それだけだった。

たったそれだけで、部屋の空気が変わった。

「ずっとまとめてると、疲れてくるので」

声がわずかに違った。

さっきまでの声じゃない。

「似合いますよ、どちらも」

「……比べてましたか、今日ずっと」

「見てましたから」


ミオが俺を見た。

丸い目が、今夜一番の近さにある。

俺は動かなかった。

追えば逃げる、は知っている。

ただ今夜のミオはもう逃げない位置に来ていた。


ゆっくりと、彼女の頬に手をかけた。

キスをした。 最初は短く。

彼女が少し驚いた後、力が抜けた。唇が柔らかかった。

ミオの手が俺の胸に触れた。

押しているわけじゃない。

確認しているみたいだった。


そのままベッドに向かった。

急かさない。ただそれだけだ。

ベッドに倒れると、ミオの黒髪が広がった。

まとめていたときとは別人みたいだった。

目がまるくて小顔で、笑うと幼く見える女が、今は笑っていない。

別の顔をしていた。

妙な色気があるとは朝から思っていたが、その理由がここに来てわかった気がした。

この女は、整えているときと、整えていないときで、別の引力を持っている。


シャツのボタンを外していくと、ミオがわずかに身じろぎした。

「……緊張してるとか、言わないでください」

「言いません」

「じゃあいいです」

鎖骨が出た。細い骨の線が、照明の中でくっきりしている。

160センチだが、骨格は小さい。

肩から腕のラインが均整が取れていて、きれいだった。

服を脱がせていくと、俺は少し動きを止めた。

ブラのラインの下に、うっすらと日焼けの境目がある。

KLで2年、屋外に出る機会が多いのだろう。

その境目が、何か生々しくてよかった。

この女がKLで暮らしてきた時間が、肌に記録されている。


「何してるんですか」

「見てます」

「……」

「綺麗だから」

ミオが顔を逸らした。

それ以上は何も言わなかった。


俺はゆっくりと時間をかけた。

どこに触れると息が変わるか、確かめていた。

鎖骨の上を指でなぞると、彼女の肩が少し上がった。

腰のくびれに手を回すと、体の力がわずかに抜けた。

脇腹から下腹部にかけて、ゆっくり手を動かすたびに、ミオの呼吸が変わっていった。


下着を外した。

27歳の体は、ふわついた柔らかさの中に、ほんの少し芯がある。

160センチ、50キロあるかないか。

その重さと体温が、俺の下にある。

太ももの内側が白く、そこだけ外の日焼けと切れていた。


ミオが声を抑えようとしていた。

ただその抑えた声の方が、部屋の静けさの中で、かえってよく聞こえた。

「……」

ミオは何かを言いかけて、やめた。

俺は少し顔を上げた。

「大丈夫ですか」

「大丈夫じゃないとは言ってない」

「では続けます」

「……はい」


ゆっくりと中に入った。

ミオの口から、短く声が漏れた。

抑えようとしたが、抑えきれなかった。

俺は動きを止めずに、ただペースを落とした。

体の奥まで届かせながら、急かさない。

彼女の腰が、ほんの少し俺に向かって動いた。

「……」

「動いてる」

「……してないです」

「してます」


ミオがシーツを握った。否定はしなかった。

体の奥を押し広げるように動くたびに、彼女の声が低くなっていった。

最初は抑えていたそれが、しばらくすると抑えることをやめた。

俺の背中に指が食い込んだ。脚が絡んできた。小さな体に想像より強い力がある。


そのまま長い時間をかけた。

何度か体勢を変えた。

ミオが俺の上に乗ったとき、黒髪が揺れた。

まとめていた髪が、今は完全にほどけていた。

薄暗い部屋の中で、彼女の目は少し潤んでいる。

小顔で、目がまるい。ただ今夜の顔は、朝のカフェで見た顔とまったく違った。


気づいたら3時を回っていた。

ミオは眠っていた。

俺はシャワーを浴びて、ウイスキーのグラスを持って窓の前に戻った。

ツインタワーがまだ光っている。

シーツの上に黒髪が広がっていた。

まとめていた髪が、ほどけたまま夜を越えていた。



[最終話] 届いたメール、その最後の一行 に続く。



Bar Trigona(バー・トリゴナ)

  • エリア:KLCC(フォーシーズンズ・クアラルンプール内)

  • 特徴:マレーシア固有のトリゴナ蜂の蜂蜜を使ったカクテルで知られるホテルバー。低く落とされた照明とローカル素材を活かした内装が特徴。静かに飲める大人の場所

  • おすすめ:ビーポーレン入りジンベースカクテルなど、ハニーコレクションシリーズ



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