なんとなく、台北行きにした [第1話]
- GENPASS 編集 三好

- 1 日前
- 読了時間: 3分

【第1話】商談前夜の高雄
台湾南部に来るのは、これで4回目だった。
高雄は台北とは空気が違う。台北が東京なら、高雄は大阪に近い。人の距離が近くて、夜が長い。出張で来るたびに、この街が少し好きになっていく。
明日は午前10時から商談が入っている。相手は現地の自動車部品メーカー。3ヶ月越しの交渉がようやく佳境に入ってきた。今夜は早めに切り上げて、明日に備えるつもりだった。
つもりだった、というのが正確な表現だ。
ホテルで着替えてから、一人でディナーに出た。山田がいれば適当な店に連れていくのだが、今回は一人だ。せっかくなら、と思って調べておいた店に向かった。「小時厚牛排」。高雄・台南・屏東にしか存在しない、ローカルのステーキチェーンだ。
店に入ると、広い。思ったより広かった。
清潔感があって、エアコンが効いている。8月の高雄の夜は夜でも30度を超える。その熱気を完全に遮断した店内で、熱々の鉄板ステーキを食べる。この対比だけで、すでにこの店に来た意味がある。
チキンステーキを頼んだ。
300元。日本円で1500円ほど。この金額で、メインのステーキにライス・カレー・食パン・スナックの食べ放題、ソフトドリンクとスープの飲み放題が全部ついてくる。夜市や個人店より少し高いが、支払った対価を軽く凌駕する満足感がある。コスパという言葉が陳腐に聞こえるくらい、内容が充実している。
鉄板が運ばれてきた瞬間、唸った。
皮がパリパリに焼き上がっていて、切った瞬間に肉汁が滲んだ。中はジューシーで、外の食感と対照的だ。パスタは他の店より細めの麺で、ソースとの絡みが違う。これは細かい話のようで、実際に食べると全然違う。
もし今ここに誰かがいたら、この皿を一緒に見て、「美味しい」と言い合いたい気分になる。
一人で来るには、少しだけ惜しい店だった。
高雄・台南・屏東にしか存在しない。つまり、台湾南部に来た者だけが手に入れられる体験だ。台北だけ回って帰る旅行者には、一生たどり着けない一軒がここにある。
食べながら、店内を見回した。
地元の家族連れ、カップル、友人同士。観光客らしい姿はほとんどない。地元に根付いた店という空気がある。こういう店を一人で食べているときの静かな充実感が、俺は嫌いじゃない。
そのとき、視界に入ってきた。
入口から女が一人で入ってきた。
小柄だ。155センチあるかないか。白いTシャツにデニム。化粧は薄い。年齢は一瞬わからなかった。顔立ちが童顔で、パッと見は20代前半に見える。でも、立ち居振る舞いに少し落ち着きがある。20代後半から30前後、というところか。
笑顔が健康的だった。
案内してきたスタッフに、中国語で何か話しかけて、笑っていた。作った笑顔じゃない。口元に小さなほくろがある。その位置が、妙に気になった。
一人客らしく、俺の斜め前の席に通された。
メニューを開いた彼女の横顔を、俺は一度だけ見た。それきり視線を皿に戻した。見すぎない。これが鉄則だ。見られていると気づかれた瞬間に、女は身構える。身構えさせたら、こっちの動きが制限される。
食べ放題のカレーをよそいに立ったついでに、もう一度だけ見た。
彼女もチキンステーキを頼んでいた。鉄板が運ばれてきた瞬間、目が少し輝いた。
あの表情を、俺だけが見ていた。
【第2話】ほくろの位置 へ続く。


![なんとなく、台北行きにした [第2話]](https://static.wixstatic.com/media/37d521_dd4e32f1933843d085fd9bbf12ee43a0~mv2.png/v1/fill/w_980,h_653,al_c,q_90,usm_0.66_1.00_0.01,enc_avif,quality_auto/37d521_dd4e32f1933843d085fd9bbf12ee43a0~mv2.png)
コメント